迎えに行くはなし

 電話に出た瞬間、向こうから、あまりにも落ち込んだ声が聞こえてきて、一騎は思わず目を瞬かせた。相手は総士だ。今日は大学の講義で、学外の施設に出向いているはずだった。一騎はちょうど店を閉めたところで、柱にかかった時計は十八時過ぎを指している。

「――すまない、電車が遅延していて、帰りの電車がいつ来るのか分からないんだ」

 そう沈んだ声で告げる総士の背後からは、何を言っているのかは聞き取れないが、アナウンスらしき声や人のざわめきが聞こえてくる。総士がいるのは、一騎の店の最寄り駅から電車で三十分もかからない場所だ。今日は久しぶりに一緒に外食をしようと約束をしていて、最寄り駅での待ち合わせは十九時だった。遅延の理由は車両点検らしいが、再開見込みが立っていないのなら、間に合うかは微妙なところであった。特に店を予約しているわけではなかったから、遅くなっても問題はないのだが、総士としては――自惚れではなく確信なのだが――楽しみにしていた予定の出だしをくじかれて、落ち込んでいるのだろう。残念ながら代替になるような路線もバスもないから、待つしかない、という状態も総士にとってはストレスなのかもしれない。臨機応変に最善策を考えられる彼は、動きを封じられるのがいちばん苦手だ。
 一騎はちいさく笑って、「今日はやめて――」と言いかけた総士を遮った。

「迎えに行くよ。車でも大してかからないだろ。ついでに、そっちで美味いもの食べよう」

 あきらかに、電話口の向こうで総士が、きょとん、としたのがわかった。車を買った、と告げたのは最近のことだから、きっと総士のなかでは、一騎に迎えに来てもらう、などという方法は思い浮かばなかったのだろう。もともと、総士は他人に頼るのが苦手だ。一騎にだけはずいぶん甘え上手になってくれたけれど、それでも、こういったとき、自分でなんとかしなければ、と考えがちなのは変わらない。
 いつかの雨の日に、駅の構内でぽつんと壁に寄りかかり、――きっと本人は無自覚で――不安そうな顔をしていた総士を思い出して、目を細める。

「もう店閉めたし、今から一旦家に帰って行くから、混んでなかったら三十分くらいかな。待っててくれるか?」
「いや、しかし……、」
「なんだ?」

 もしやこの期に及んで迷惑をかける、などと言い出すのかと思ったら、しばし言い淀んだ後、総士は「……なんというか……、こう、迎えに来られるというのは……面映ゆいな」とぼそぼそちいさな声で言った。
 ――そうか、離れて暮らしていたころ、お互いに「行く」ことはあったけれど、「迎えに行く」というのは、なかったのだ。
 一騎は思わず自分も、なんとなく、むずがゆいきもちになって、頬をゆるめる。
 ――いいな。
 これ、いいな。
 迎えに行く、行ける、と思うと、ちょっと心が浮き立つ。

「――すぐ行くから、そのあたりでお前の好きそうな店、探しておいてくれ」
「……わ、わかった」

 そう応えたあと、電話を切る間際に「……待っている」と告げた総士の声が嬉しそうで、一騎は思わず駆け出しそうになりながら、いやいや、安全運転、安全運転だぞ、と言い聞かせながら、急ぎ足で店を出た。


2020.10.02 文庫ページメーカー初出
大学に車で迎えに行く話も書きたいです