内緒のコレクション

 腕のなかにおさまるサイズの段ボールがひとつ、目の前に鎮座していた。
 それは先ほど宅配業者が届けてくれたもので、あて先は総士の名前になっていた。差出人の名前はない。これは、とあるネットオークションを介した品物で、最近では互いの個人情報を開示せず取引ができるようになっているからだ。総士のように、必要以上に住所等を第三者に知られたくない生業をしているものにとってはありがたい。
 ――さて。
 総士は自室の壁掛け時計を見上げた。時刻は午後四時に近い。今日と明日は、地方公演から帰って来て久々のオフだ。同居している一騎は仕事に出ていて、帰ってくるのは少なくとも午後七時以降である。出がけに「早く帰ってくる」と離れがたそうに総士をぎゅうぎゅうと抱きしめて出て行ったから、店じまいをしたらいつもよりも早足で帰ってくるのだろう。それを想像すると頬がゆるむけれども、この、目の前の荷物は、一騎が帰ってくるまでに開封し、確認して、隠さねばならない。
 ぴりぴりとガムテープをはがし、荷札と納品書はシュレッダーにかける。――そこまでしなくても一騎は総士の部屋のゴミ箱なんて覗かないのだが、これは総士の気持ちの問題だ。そうして箱のなかにおさまっているビニール袋に厳重に梱包されたものを取り出すと、ふわふわとした感触が伝わってきた。透けない白いビニールを丁重に剥がして、中から現れたのは、総士が腕に抱けるくらいのサイズの、クッションだ。新品未開封、と謳われていたとおり、クッションはさらに薄い透明のビニールにしっかり包まれていて、テープに剥がされた跡はない。取り出したのがちょうど裏面だったらしく、薄青の布地にはおおよそ十年ほど前の日付と「Kazuki Makabe Second Live」の文字が入っていた。

「……ほんものだ」

 思わずぽつりと零してしまう。そして、どきどきする心臓を自覚しながらくるりと表にかえすと、はにかんだような笑顔の、彼――十年ほど前の一騎がいた。この時のライブのために撮り下ろされた写真が使われている、らしい。青空をバックにひまわりを手に持って、すこし恥ずかしそうに笑っている一騎の、胸元から上がプリントされていた。正方形のそのクッションは、一騎がかつてアイドルだったころ、おおよそ十七のころに行われた二度目の単独ライブの際に、くじ引きの景品として出されたもののうちのひとつだという。この写真が使われたグッズが他にないということで、当時のファンの間ではかなりレアな品物として認知されていたようだし、数もあまり出回っていない。オークションで総士が競り落とした価格もそれなりのものだったが、手が出せないというものでもなかった。――いま総士が貸与されているチェロの時価を考えれば安いものだと思う自分の感覚が一般とずれている自信はあるけれど。

「……大事にされていたんだろうな」

 十年という月日は短くない。だというのに、外装の袋さえほとんどヨレや皺もなく、きれいだ。出品者はそれまでの履歴から想像するに業者などではない一般人で、他にもいくつか、かつての一騎のグッズを出品していた。おそらく当時のファンなのだろう。手放そうと思った理由はわからないし、詮索することでもないけれど、ここまで大事に保管されていたということは、確かにアイドルの真壁一騎が愛されていた証拠だ。
 一騎は自分のアイドル時代のことをあまり積極的に話さないが、どうも彼自身には「そんなに売れているほうではなかった」という意識がある。だがそれは過小評価で、総士がネットや、細々とかき集めた当時の雑誌等で得た情報から察するに、爆発的でないにしても「売れていた」のだ。おまけにたった三年で病によって姿を消さざるを得なくなったこともあって、当時のファンのなかには未だに彼を焦がれる者も多いようだ。このクッションだって、なかなかに激戦だったのだ。それでも欲しいと思ったのは、この、一騎の笑顔に、惹かれてしまったからだった。
 一騎に知られたらきっと「目の前にいるのに」と言われるのだろうが、総士は一騎の、この時代を、知らない。総士ではない不特定多数の人間にあの甘くやわらかな声で歌いかけ、楽しそうに踊り、喋るのが得意ではないと困ったように笑っていた時代を知らない。それがときどき無性にさみしくなって、知りたい、と、そう思ってしまう。

「かわいいな」

 クッションを改めて真正面から見て、ふふ、と、総士は笑った。今も笑うと幼げな表情になるのがかわいいけれど、カメラを向けられて、きっと得意ではないと思いながら笑っている一騎は、このとき、一瞬のものだ。
 ベッドに腰かけて、外装をまとったままのクッションを、ちょっと躊躇いつつぎゅうっと抱き込んでみる。くしゃりとビニールの音が静かな部屋にひびいて、なんとも言えないきもちになった。
 ――なぜだろう。いけないことをしている気がする。
 しかしどうにも手放しがたい。
 もう一度よくよく一騎の笑顔を確かめるようにじっと見つめてから、抱きしめる。
 ――当時のファンも、こんなふうにしたのだろうか。
 いくつクッションが作られていたのかは知らないけれど、他のグッズとちがい、「抱きしめる」ことのできるこれは、彼を慕わしく思うファンたちにとっては、きっととてもうれしいもので――本物の一騎のかわりに、こうして抱きしめて癒されたものも多いのではないだろうか。
 そう思うと、なんとなく、もやもやとする。
 ――いや、過去の不特定多数に嫉妬などしてどうする。
 ぎゅうう、とさらに強く抱き込んで、総士はそのままぽすん、とベッドに倒れ込んだ。
 この部屋のクローゼットには、一騎には内緒で集めた、アイドル時代の彼のCDやDVDやグッズや雑誌がそっと隠されている。それらを集めて総士は当時のファンに追いつきたいとか、勝ちたいとか、そんなことを思ったのではない。ただ、知らない過去の一騎を知りたかっただけだ。それなのに、知れば知るほど、当時のファンがうらやましくなる。

「今の一騎のいちばん傍にいるのは僕だぞ」

 自分で自分に言い聞かせるようにつぶやいて、総士はぎゅっと目を瞑った。


 ――のが、まちがいだった。
 言い訳をするのなら、とても、疲れていたのだ。二週間以上も全国あちこちに飛び回って演奏をして帰ってきたのは昨晩遅くだった。一騎に抱きしめられてぐっすり眠ったけれど、疲れが完全にとれたわけではなかった。それなのに目を瞑ってしまったら、そのまま眠ってしまうことなど予想できたはずだ。油断した。自分の名を呼ぶ声に目を開けると、目の前にはアイドルではない、今の、一騎の笑顔があった。

「おはよう」
「……かっ、」

 がばりと起き上がった拍子に、ぽろりと腕からクッションが転げ落ちる。しまった、と思うがもう遅い。ベッドの淵に腰かけている一騎はそれを拾い上げて、「うわ、懐かしいな」と驚いた顔をした。

「これ、ずっと昔のライブのじゃないか。なんで総士が持ってるんだ?」
「い……、いや、それは、その…………、――オークション、で、買った……」

 嘘をついても仕方がない。一騎がいったいどんな反応をするのか不安ではあったが、そのまま口にする。彼のアイドル時代のCD等も、集めていることは彼に言ったことがない。なんとなく、照れくさかったのだ。
 しばし、無言の間が空いた。
 もしや一騎は、この時代の一騎を総士が知ろうとするのは不愉快なのだろうか。病で諦めざるを得なくなったことを彼は悔やんでいる。すでに彼のなかでは昇華されているとはいっても、あまり、いい気分ではないのでは――。

「……笑い方、へたくそだな」

 ふふ、と、一騎は笑った。総士が顔を上げると、一騎がクッションを総士の手元へ戻してくる。

「それ、総士は見て、どう思ったんだ? どうして買おうと思ったんだ?」

 一騎の問いの真意は見えなかったが、「……かわいいと、思ったんだ。僕はお前の過去も、知っていたかった」とぼそぼそ答えると、「そっか」と一騎は目を細めてほほえんだ。気を悪くしてはいないようだ、と、総士がほっと息を吐いたところで、一騎はぐっと総士のからだを引き寄せる。帰ってきたばかりらしい彼のからだからは、喫茶店のにおいがする。珈琲と、たべものの、におい。

「――総士が俺の昔のことを知ってくれるのも、昔の俺のことかわいいって言ってくれるのも嬉しいけど、俺がいるときは、俺のほうにしてくれよ」

 クッションごと押しつぶさんばかりにぎゅうぎゅうと抱きしめられて、総士はぽかんと口を開けたあと、その背中に腕を回しながら、くすくすと笑う。

「お前は過去の自分に嫉妬するのか」
「するよ。それに、俺だって出会う前の総士をこの目で見られたわけじゃない。カルテットの人も、そのファンだった人も、うらやましい。俺が遠見に頼んで昔のCDとか集めてるの知ってるだろ」
「……なんだ、おあいこだな」

 おあいこ?と一騎が首を傾げるので、僕はお前のファンに嫉妬した、と言えば、ふはは、と、一騎が楽しそうに笑った。

「いっしょだな」

 ひとしきり笑って抱き合って、満足したころに、ぐう、と、お互いの腹から音が鳴る。今日は何を食べようか、明日は休みだからゆっくりしよう、今日も一緒に寝ような、と、話をしながらふたりが出て行った部屋のなかに、クッションが残された。

 ――このクッションは後々、総士の遠征の際の必需品になるのだが、そのことを、一騎は当分、知らない。



2020.10.26 文庫ページメーカー初出
某くじの真壁くんクッションが出るように願掛けして書きました(出た)