ぼくとかれのひみつ
ぼくの名前は皆城総士。
同じ学年の子たちのなかでもむつかしい漢字を使う名前だけれど、ぼくはちゃんと全部、漢字で書くことができる。小学校にあがる前にぼくは名前だけはちゃんと書きたくて、一騎にねだって教えてもらったのだ。ちなみに、一騎の名前も漢字で書ける。一騎はぼくを育ててくれた「親」だけれど、一騎の苗字はぼくとはちがう。かれの苗字は「真壁」だ。漢字で書くとすごくつよそうだとおもったし、実際、一騎はとてもつよい。外から敵がきてサイレンが鳴ると、ぼくはいつも地下のシェルターに押し込まれてしまうから、モニター越しにしか見たことはないけれど、一騎の乗るまっしろなファフナーはいつも、だれよりも早く、だれよりも多くそれらを倒すのだった。
ぼくはちいさいころからずっと「総士」と呼ばれていた。皆城や真壁という苗字で呼ばれたことは一度もない。一騎も、そのお父さんにあたる史彦おじいちゃん――おじいちゃんと呼べばいいと言われて以来、血縁はなくてもそう呼んでいる――も、真矢お姉ちゃんや美羽ちゃんもみんな、ぼくのことを「総士」と呼んだ。
みなしろ、という苗字を教えてもらったのは、漢字で名前を書きたい、と言ったときがはじめてだった。ぼくは一騎がほんとうの親ではないととっくに知っていたし、そんな親子はこの島ではまったくめずらしくない。なかよくしている美羽ちゃんだって、ほんとうのお父さんもお母さんももういないし、一騎のはたらいている喫茶店の店主である甲洋だって家族はいない。操にいたっては「親?うーん、きみたちの感覚で考えるなら、ミールかなぁ」とわけのわからないことを言っていた。だから、一騎とちがう苗字なのだと教えてもらっても、かなしいとか、さみしいとか、そういう気持ちにはならなかった。ただ、一騎がすこしだけ、なんとなく、ぼくにそれを教えることをためらうような顔をしたのが、今でも忘れられないだけで。
皆城という名字をもつ家は、この海神島にはない。一騎たちが前に暮らしていたという竜宮島には、その名前があったんだろうかとぼくはちょっと興味をもってしまった。なにせこの島には、竜宮島からきたひとのように漢字で表す名前もあれば、シュリーナガルからきたひとのように、知らない言語で書かれる名前もある。ぼくはどうかんがえても、竜宮島からきたひとに多い種類の名前をもっている。それなら、アーカイブをしらべれば、なにか見つかるんじゃないかとおもったのだ。
アーカイブというのは、島民ならばだれでも見ることができるもので、この世界にまだもっとたくさんのひとが生きていた時代からの記録がたくさんあつめられている。子どもは島の図書室に行けば、そこに置かれた端末からアクセスすることができた。
でもここで、おもってもいないことが起きた。皆城というその名前を検索しても、なにひとつ出てこない。なんだ、なにもないのかと、ぼくは単純におもえなかった。たしかに、アーカイブのなかには子どもにはアクセスできないようにしてある情報もたくさんある。そういうときは、「アクセスするけんげんがありません」という文字が表示されるのだ。でも、そうじゃなかった。ほんとうに、なにひとつ、画面には出てこなかったのだ。
ぼくは、ぐらりと、自分のあしもとが揺れるみたいな、なんともいえない気持ちにおそわれて、走って家にかえった。ぼくはちゃんとここにいるのだと、なぜか、どうしても、一騎に言ってほしくてたまらなくなった。でもかえった家にはだれもいなかった。時計を見るとまだ一騎は楽園にいる時間だったし、史彦おじいちゃんも仕事にいっている。ひとりぼっちになったようで、じっとしていられなくて、ぼくはなにもかんがえずに、うろうろと家をあるきまわった。そうしたら、いつもは閉じられているはずの、一騎の部屋のドアがすこしだけ開いていた。一騎がいるときは入れてもらえるけれど、ひとりで勝手に入るのはだめだよ、と言われている。一騎もおなじように、ぼくの部屋にだまって入ることはない。それがこの家のルールだった。
わかっている。はいっちゃだめだって、わかっているけれど、ぼくはそのときどういうわけか、惹かれるようにしてドアを開けていた。
一騎の部屋にはあまり物がない。それこそベッドと机があるくらいだ。その机のうえに、伏せられている写真立てがあった。そうだ、そういえば、一騎はいつもこれを伏せたままにしている。どうして、と、きいたことはない。なんとなくだけれど、きいてはいけない気がしたのだ。でも、いまはだれもいない。ぼくはしんぞうがどきどきと鳴るのを感じながら、そっと、写真立てを起こしてみた。
――そこには、見覚えのある顔が並んでいた。背後に写っているのは知らない場所だ。でもこの島にも同じようなものがある。神社、というものだ。その前に整列して立っているのは六人。
甲洋、剣司先生、咲良先生、真矢お姉ちゃん、一騎――そして。
「へ……」
しらない、ひとだった。アルヴィスの濃い色の制服。おとなたちが着ているのと同じそれをまとい、一騎のとなりにたっているひと。しらない。しらない、でも、似ていた。鏡でまいにち見ているはずの、ぼくの顔と。灰に紫がかった目も、ひとつにくくられた亜麻色の髪も。
だれ。
だれなの。
ぼくに似ている、きみは、だれ。
一騎がこれをずっと伏せていたのは、ぼくに見せないためだった?
ぐらぐらと視界がゆれた。
そのときだった。
――だいじょうぶだ。落ち着け。
声がした。だれもいないはずなのに、と、ぼくはあたりを見回した。でもその声はどうやら、ぼくの、内側から聞こえてくるようだった。
――まったく、そうやって好奇心で先走るのは一騎に育てられたせいなのか……
あきれたような声は、でもとてもやさしかった。どきどきといたいくらいに鳴っていたしんぞうが、だんだん、ぽかぽかあたたかくなる。さっきまであんなにも不安定だった気持ちが、おちついていく。
ねぇだれなの?
ぼくはぼくのなかに問いかけた。低くてやさしい声は、まだ早い、と、そう答えた。
――いずれわかる。今はまだ、知らなくていい。お前の居場所はちゃんとここにあるだろう?
だからこわがらなくてもいいとそう言われて、ぼくはすごくほっとした。言葉の意味はわからないのに、なぜか、無理に今はかんがえなくてもいいのだと、不安におもうことはないのだと、納得してしまう。ふしぎな声だった。聞いたことがないはずなのに、とてもなつかしい。
ぼくはそっと写真立てを元に戻しかけて――もういちどだけ、亜麻色の髪のひとを見る。ほほえんだ顔がとてもやさしそうなひとだった。だけどなんだか、すこしだけ、かなしい。その顔を目に焼き付けて、ぼくは写真立てを伏せると、一騎の部屋を出た。
いつもみんなでごはんを食べる居間にすわりこんで、ぼんやりと庭をながめる。そこには一騎といっしょに植えたひまわりが咲いている。庭のはしっこには小さな畑があって、そこにも一騎といっしょに育てている野菜があるはずだった。ふわりと風が吹いて、ちりん、と、縁側につるした風鈴を鳴らした。そう、あれも一騎にねだって買ってもらったのだ。音がきれいでずっときいていたくて、勝手に布団を縁側までひっぱって寝てしまったのに、一騎は叱るでもなく、隣に布団を敷いて寝てくれた。一騎はいつもやさしい。めったに怒ることなんてない。操にだんごむしを大量にもっていっておどろかせたときは、怒られたけど。ほんとうの親じゃなくても、ぼくのお父さんやお母さんがだれなのか、どうしていないのか、そんなことがわからなくっても、ぼくはこの家の子どもだ。一騎の子どもだ。たとえ真壁の名前をもっていなくても。
そうだ、おまえはこの家の子だ、と、身の内の声がうなずいた。うん、と、ぼくもうなずく。
がらりと、玄関の戸が開く音がする。「あれ?総士、帰ってるのか?」と、玄関に脱ぎ捨てられているぼくの靴を見たのだろう一騎が言いながら廊下を歩いてくる。
「総士?…わっ」
その顔を見たらがまんできなくて、ぼくはおもいっきり一騎にとびついた。かなしいわけでも、さみしいわけでもないのに、ぼろぼろとなみだがでてくる。うわんうわんと泣きはじめたぼくに、どうした、なにかあったのか、と一騎は心配そうに言いながら、しゃがみこんでだきしめてくれる。かずき、かずき、と言いながらほかにはなにも言葉にできなくて、それでも一騎はぼくがなきやむまでやさしく背中をなでてくれた。
結局、ぼくが泣いた理由なんてぼくにもわからなかったし、一騎は特に問いただすこともなかった。他の子にくらべればかんしゃくを起こして泣くなんてめったになかったから、一騎は少し心配していたけど、なんとなく、見つけてしまったあの写真のひとのことも、心のうちの声のことも、一騎には言えなかったのだ。
それからも何度か、あの声をきくことがあった。どうしてここにいるんだろう。どうしてぼくは、一騎の子じゃないんだろう。そんなふうにどうしてもおもってしまうとき、あの声はやさしく、だいじょうぶだ、と、ぼくのこころを撫ぜていった。一騎もしらない、ぼくだけのひみつ。
その声をもう一度はっきりと聞くことになるのは、僕があの機体――マーク・ニヒトに乗ることになったとき。
皆城総士というその名前をもって生まれた役割を、自分で選び直すとき。
ずっと、ずっと、先の話である。
2018.10.21 Privatter初出
PVを無視してまだ見ぬこそちゃんへの妄想だけで書いた話でした