そうだったなんて聞いてない。
突然現れた十四歳の総士は、ひと通りの事情と現在の一騎たちの状況を冷静に飲み込んで、時が経ち元に戻るのを待つという結論を出したようだった。
所在なさげに――本人は至って平然としているように取り繕っているつもりだろう――ちょこんと自室のソファに座っている総士は.「早く帰りたい」という顔をしていることに自覚があるのだろうか。このころの総士って結構わかりやすいな、と一騎は思う。子どもらしからぬ言葉使いや振る舞い、大人たちに怯むことなく同等に接し、仲間たちを率いていたせいか、かつての総士は随分と大人びて、そしてその心は遠かった。言葉を重ねて分かり合おうとしてからの距離は幾分か縮まったけれど、すべてをわかってやれないことに、一騎は自分へのもどかしさと焦りを募らせていたものだ。
それがどうだ。自分が歳上という立場になってみると、あの総士がこんなにも、ちいさく見える。この肩にたくさんのものを負わせて、ひとりで抱えこませていたのかと思うと胸が詰まった。
ここにいる総士は、すでに一騎との対話を始めたころの彼らしい。最も一騎が満たされていた時期だ。しかし、敵の侵攻は絶えずおこなわれていたころでもある。早く帰りたいと総士が望むのは、島や仲間の状況が気にかかるからだろう。千鶴たちの話からすれば、ここでの時間の進行と、総士のいた時空の時間の進行が同じとも違うともわからないという。過去と現在だとか、並行世界だとか、時間の概念とか、そういうものは一騎にはさっぱりわからない。しかし頭のいい総士のことだから、あれこれ難しく考えて不安を感じていることは確かだった。知識に裏づけされた言葉で彼に寄り添い安心させてやれれば良いのだけれど、生憎と、一騎の最も苦手な分野である。十九の総士がいてくれれば説得力のある「大丈夫だ」という言葉をかけてやれたのだろうが、彼は彼で目の前の総士の影響により今ここに「いない」。入れ替わっているのではないか、というのがアルヴィスの頭脳たちの見解だった。
しかし一騎は、どうしてかそれを不安には思わなかった。総士はちゃんといる。帰ってくる。直感と信頼以外のなにものでもないそれを、「一騎くんが言うならきっとそうね」と千鶴はほほえんで肯定してくれた。
だから、今の一騎にできるのは、ここにいる総士の不安を、自分なりに、受け止めてやることだった。
「総士」
「……っ」
総士の横にそっと腰を下ろすと、少し肩が跳ねてわずかに距離を取られる。そこまで警戒しなくても、と思いつつも、まぁ総士だもんな、と頬をゆるめる。
「な、何がおかしいんだ」
一騎の反応を「わらわれた」と受け取ったらしい総士が眉を寄せ、キッと睨んでくる。――こういう顔、今の総士はあんまりしなくなった。上目遣いがかわいい、と一騎が逆によろこぶことを学習してしまったからだ。
かわいいな、と、久しぶりの感覚に、ゆるめた頬がさらにふにゃふにゃになるのを覚えながら一騎は総士にほほえみかける。
「おかしいんじゃないよ。総士は、何歳でも総士だなって思ったら、嬉しくなったんだ」
途端、総士は戸惑うような、心許ないような、そんな顔をする。見知らぬ一騎に対しての警戒心をなくしたわけでも、警戒したことを悔いるわけでもないが、声を荒らげたり睨んだりすることはなかったのではないか、ここにいるのは確かに見慣れぬ姿であるが、それでもやはり一騎に違いない――そんなことを思っているのだろう。この時期の総士はきっと、一騎に向ける言葉や行動、そのひとつひとつに気を遣っていた。自分がいかに一騎を必要としているのか、分かりあいたいと思っているのか。それを、互いが決して、取り違えないようにと。その思いの裏に、もう二度と一騎に黙って出ていかれるのはいやだ、という恐れがあったことも、今の一騎は知っている。
毛を逆立てていた猫が、ぱたり、と尻尾を下ろしてすこし耳を伏せてしまった姿が見えるような気がして、一騎は思わず総士のほうへ手を伸ばした。あれこれ考え込んでいて反応が遅れたらしい総士が避けるより早く、一騎の手は総士の頭を撫でていた。
――あ、このころの総士って、ふわふわよりも、さらさらしてる。
てのひらに感じるなめらかな髪にそんなことを思う。総士はいきなりのことに驚いているのか、固まっている。それをいいことに、一騎は随分とおさなく見える、今の一騎よりすこしだけちいさなからだを腕のなかへと引き寄せた。腕に伝わってくるのは、青年として成長し、しっかりとした体格になった十九の彼とはちがう、未発達なやわらかさを残したおさない体温だ。
――そうか、十四歳って、こんな感じだったっけ。
総士は昔から一騎よりも背が高かった。だから「ちいさな総士」という存在が自分の腕のなかにおさまっていることに新鮮さを覚え、何とも言いようのない、庇護欲のようなものを感じる。
「お…、お前は一体…何がしたいんだ…?!」
我に返ったらしい総士が腕のなかでもぞもぞと居心地悪そうに動き出した。逃げ出したいのだろうが、生憎と力では昔から一騎のほうが上だ。十四のころと比べれば少し体力は落ちたが、だからといって、戸惑いと羞恥で本来の力も発揮できていないらしい総士の腕に押されたところでびくともしない。一騎は小さく笑って、暴れるからだを抑え込む。
「お前、昔は――…いや、今もだけど、こうされるの好きだろ」
「っ、な、何を、」
思わず、といったふうに顔を上げた総士が逃げないうちに、こつん、と額を触れ合わせた。完全に総士のからだが動きを止めて、見開かれた瞳が一騎を見ている。逸らしたくても、逸らせないのだろう。それだけふたりの顔は近くにあった。まだ精悍さよりやわらかさの目立つ頬がじんわりと赤く染まっている。嫌がられてもいないし、向けている感情を理解はしてくれているのだ。それはつまり、この総士が、すでに一騎の想いを知っているころの総士だということを示していた。
過去にできるだけ影響を与えてしまわないよう、世界情勢や島の状況、総士のまわりの人々の生死について告げない、というのが、総士とふたりになるための条件だった。だから不用意な発言をしてしまわないように、総士からあれこれと具体的なことを聞くのは避けていた。
かつての一騎が総士に対し、名付けようのない感情に突き動かされて、「お前に触りたい」と告げたのは、島から帰った直後だった。この総士は、その言葉に、どういう意味だと返しながらも、手に触れ、頬に触れ、ただ寄り添いあうことをゆるしてくれたころの、総士だ。その確信を得て、一騎は突き合わせていた額を離し、再び総士の頭を胸のなかに抱き込む。
「大丈夫。お前の島のみんなは、きっと無事だ。心配しなくても、ちゃんとお前は、お前のいたい場所に帰れる。それまでここにいていいんだ。ここも、お前の、総士の居場所だ」
十九の総士がいればもっとうまいことを言うのだろうと思いながらも、一騎にできるのは、確かにここにあるぬくもりを伝えてやることだった。歳を重ねていくらか素直に言葉を発するようになった総士から、「安心するんだ」と言われたことがある。お前に触れていると、安心する、と。それはきっと昔からだったのだろう。
この総士も、そうだといい。そう思いながら抱き込んだ総士の髪をゆっくり撫でていると、徐々に、腕のなかの抵抗は力を失い、細く、長い、吐息が聞こえた。
「……お前は…、一騎なんだな」
「そうだよ」
疑っていたわけではないだろうが、やっと自分の身知っている一騎と同一の存在であるということが納得できた、というような、そんな確認の言葉だった。
「お前の知っている俺とは、たぶん、ちょっと違うけどな」
「…ちょっと、どころではない。僕の知っている一騎は、…こんなことは…、しない」
「そうか?お前に触れたいって言って、よく抱きしめてたと思うんだけど」
「そ…っ、それ、は、そうだが、こんな…」
こんな、ふうでは、ない。
切れ切れに零れた総士の言葉はすこし震えていて、一騎の視線から逃れるように俯いたせいで、さらりと前へ流れた髪の隙間から見える耳が、赤くなっている。
――こんなふう、って、どんなふうだろう。
――ああ、まぁ、あのころの自分はいっぱいいっぱいで、力加減も、タイミングも、何も考えずに総士を抱きしめていたかもしれない。
そう思って、「なんか、ごめんな」と言えば、訝しげに見上げられる。
「何がだ…?」
「昔の俺の代わりに、謝っておこうかと思って…」
「…別に僕は、お前を…その、僕の知っている一騎を否定したわけではないし、……嫌、だった、と、言ったわけでは…」
もごもごと言葉尻が小さく消えていく。羞恥に赤く染まりながらも「誤解を与えない言葉選び」をしようとする総士があまりにも可愛く思えて、一騎もつられて赤くなった。だめだ。どうしてこんなに可愛い総士を前にして、あのころの自分は平然と――いや、そんなことはなかった。だから力任せに抱きしめていたんだろう。歳を経ても成長してなんかいない。今だって、総士を前にすると――それがどの総士であったって、抑えがきかなくなるのが一騎という人間だ。
すこしだけ噛まれたくちびるが、視界に入る。
淡い色。少年のものにちがいないのに、やわらかそうな、ちいさなくちびる。
だめだ、と、どこかで冷静な自分が言うのに、十九になっても治らない、言葉や思考よりからだが先に動いてしまう一騎の悪い癖が出る。
ふれたい。
その衝動に、目の前の少年の瞳のうつくしい灰色が視界いっぱいに広がるほどに近づいて、小さく息を呑み、薄く開いたくちびるに触れ――かけた。
「っ、やめろ!」
「っ!」
ばしん、と、一騎の顔いっぱいに衝撃がはしる。音のわりに、痛みはほとんどない。薄っすら目を開けると、一騎の顔を寸でのところで止めていたのは総士の両手だった。
はっと、一騎は我に返る。
「ご、ごめん!」
安心させようと思って、ただ総士が身を委ねられるぬくもりだけを、与えようと思っていたはずなのに。それなのに、大人である自分が身勝手な衝動で彼の踏み込まれたくない領域へ入りかけてしまった。一騎は慌てて謝りながら、総士の手を握り、ごめん、ごめんな、と繰り返す。怖がらせただろうか。不安を与えてしまっただろうか。せっかく、安心してくれていたのに。申し訳なさと情けなさでいっぱいだ。総士が俯きぎみに一騎を見ないせいで、余計に不安が募る。
「総士…、本当に、ごめん…。お前の嫌がること、俺…」
「…ち……、ちがう…」
「…へ…?」
聞こえたのは、本当に、本当にちいさな声だった。
おそるおそる総士を見ると、長い前髪に隠されてはいるが、噛み締められたくちびると――さきほどと同じく真っ赤な耳だけが見える。
そこに見えるのは不安や恐怖ではない。どういうことだろう、と、一騎が目をまたたかせていると、総士は意を決したように――しかし、細い声で、言った。
「ま…、まだ、それは、“一騎”と…、し、していない」
ぽかん、と、口を開ける。
――つまり、それは。…つまり?
一騎には総士のようにいくつもの事象を並列で処理できる思考能力などない。しばらく黙り込み、必死で考える。十四の一騎としていない。だから、避けた。嫌だとか、こわいとか、そういうことでは、なくて。
――つまり、最初は、“一騎”とがいい、と、そういう、ことなんだろうか。
不義理になる、という総士らしい言葉も浮かんだが、一騎と総士は何らかの約束を交わし合った、名のある関係性にはない。生真面目な総士なら考えそうではあるが、しっくりこない。いや、しかし、そうだとすれば。
「………うぅ…」
「か、一騎、どうした…?」
小さく唸って、一騎は総士の肩に顔を押し付ける。上から戸惑ったような声が聞こえる。怯えられていないことに安堵する。しかし、安心させるために顔を上げることも、しばらくはできそうにない。
ああ、どうして十四の自分は、こんな総士に気づかなかったのだろう。
かつての一騎が総士のそのくちびるの感触を知るのは、十六になってからだ、と、当然ながら一騎は総士に言うこともできず、おさない肩にぐりぐりと額を押し付けた。
2019.02.12 文庫ページメーカー初出
年上一騎が年下総士をかわいがるのが好き