たべてしまいたい
もぞもぞと背中で何かが動いている。
ぼんやりとした寝起きの頭はじょうずに働かず、背後から胸元へ回されている腕があたたかくて心地よいことだけを認識した。おろしたまぶたの向こうがわは眩くて、とても目を開ける気にはならない。ん、と、ちいさく無意識の声をもらして枕に頬を埋めるようにすりよせると、ふ、と、ちいさく笑うような吐息がうなじにかかった。くすぐったくて、思わず首を竦める。それでもまだまぶたを開けて振り返る気にはならない。寝ぼけていても、寄り添っているぬくもりが危険なものではないことはよくわかっていた。
胸元に回されている腕がよりいっそう総士のからだを引き寄せて、なまあたたかな吐息がうなじから背を撫でた。
きっと、おろしたままの髪に顔を埋めているのだろう。今に始まったことではなく、共に眠りについた翌朝に一騎がやたらと総士の髪に触れたがるのはいつものことだ。やわらかくてきもちがいい、たべたい、と言われたときにはどうしようかと思ったが、本当に食べる訳もなく、顔を埋めてすんすんと鼻を鳴らすだけであったので、好きなようにさせている。
しばらくしてから、深く呼吸をする音がして、ようやく、胸元から手が離れ、背中のぬくもりも遠ざかる。すこしだけ名残惜しくおもってしまったのは、寝起きでこころが緩みきっているせいだ。
仰向きになり、ひかりに慣れてきた目をそろりと薄く開けると、覆いかぶさるようにのぞきこむ榛の瞳がある。朝のひかりを受けてなお深い夜のように帳をおろす黒髪が、重力に従って総士のほうへさらりと流れ落ちてくるのがきれいで、思わず指を伸ばした。緩慢な動きで髪と頬に触れると、くすぐったそうに一騎がわらう。
「おはよう、そうし」
やわらかな声が、寝起きのせいか、いっそうゆるんで溶けるようにあまい。熱に浮かされた闇のなかで聞くのとはまたちがう。ただ、朝がきて、そこに総士がいることを言祝ぐ声音はどこまでもやさしい。
おはよう、と、返したつもりだったが、喉が本調子ではないのか、ほとんど吐息のように掠れてしまった。視線の先で一騎がすこし申し訳なさそうにほほえんで、ぼんやりうすく開いたままの総士のくちびるに口づけが落ちてきた。かすかに触れただけで離れていったそれをなんとはなしに目で追うと、「……ねぼけてるだろ」と苦笑が返る。
もちろんだ、ねぼけている。まだ頭は働かないし、まぶたも重いし、一騎がここで口づけを重ねれば、たやすく熱に流されてしまうくらいにはねぼけている。
しかし一騎はそんな総士の滅多にない、きまぐれなきもちに気づくことはなく、よしよし、と、一騎のだいすきな総士の髪をひとしきり梳くように撫でてから、うんと伸びをした。
「朝飯できたら呼ぶから、それまで寝てろよ」
つい先程まではあんなにも総士にべったりくっついていたのに、ある程度満足すると、意外にも一騎はあっさりとしていて、総士のほうが物足りなさを覚えてしまう。
それでも、「今日はごはん?それともパンか?」の問いに「……カリカリの……ベーコンエッグ……」と答えれば、それならパンだな、スープとサラダもつけてやるぞ、と一騎が総士を甘やかすことしか言わないので、不満などすぐに消えてしまう。
ぱたぱたと足早に部屋を出て行く一騎を布団のなかから見送って、総士は自分の髪を指でつまんでみた。最近すこしだけ癖の出てきた髪は、「ふわふわでいい匂い」と一騎は言う。くん、と自分で嗅いでみても、昨夜使った一騎と同じシャンプーのにおいしかしない。これの何がそんなにいいのだろう。
「……おまえはずるい」
僕より一騎に気に入られている。
ころんと寝返りを打って、ほとんど眠りに足をつっこんだ状態で本末転倒な嫉妬をして、総士はゆっくり目を閉じた。
――ああ、でも、僕も、朝の一騎の髪のにおいがすきだ。
ごはん、味噌汁、だし巻き、ベーコンエッグ、バターをたっぷり塗ったパンにコーンスープ。朝ごはんのにおいが染みついたあの黒髪に顔を埋めるのは自分もおなじだ。
おなかがすいたな、と、そう思いながら、総士は二度目の眠りに落ちていった。
2019.03.25 文庫ページメーカー初出
また寝起き。寝起きアンソロ「しあわせはまぶたのうち」にかなり加筆したものを収録しています。