ふゆのねこ

 かずきは、ひざしのなかにいた。
 きもちいいな、と、頬に触れているやわらかな毛のかたまりにぐいぐいと顔をうずめる。ごろごろと喉が勝手に鳴ってしまった。――喉。そう、うれしくてきもちがいいと、喉が鳴る。だってかずきは猫なのだ。
 顔を埋めたさき、ひなたと土のにおいがする亜麻色の毛の持ち主は、かずきの顔が押し付けられていることに少しばかり居心地の悪そうな唸り声を上げたが、仕方がない、と言いたげに、からだから力を抜いてくれた。うれしい。そうし、そうし、と堪らなくなって鳴き声をあげると、ぱたり、とふさふさの尻尾が揺れた。そうしはあんまり鳴かないが、感情にすなおに動いてしまう尻尾を見ていれば、言いたいことはおおよそわかるので、かずきは困っていない。
 長毛種のそうしは、もともとかずきよりも毛が長い。夏は見ているだけでも暑いくらいだ。その毛は冬が近づくともっと長くなって、そうしのからだが突然ふくらんだのではないかと思えるほどにふわふわになるのだ。寒くなってくると、そうしは毛の短いかずきを心配して、そのふわふわのなかにかずきを収めようとする。いくらかずきの体格がそうしよりすこし小さいとはいえ、おさまるわけがないのに、だ。けれど、かずきはその不器用なやさしさと、からだを包むやわらかなそうしの毛がだいすきだった。
 秋の日差しがふりそそぐ草むらは、あたたかくて居心地がいい。そうしもきっとそう思っているのだろう。すうすうと、おちついた寝息がきこえてきた。触れているそうしのおなかが、呼吸にあわせてふくらんだり、へこんだりする。
 ふかふかで、あったかくて、いいにおいがして、――いきている。
 うれしいな。
 そうし、――総士。
 ――だいすきだよ。
 そう鳴いて、ますます一騎は、そのやわらかな毛に顔を押し付け――、


「いいかげんにしろ!」
「――うわぁっ?!」

 大きな声がしたと同時に、背中に衝撃を感じた。
 え、なんだ、なにがおこったんだ、と、一騎は目を白黒させる。視界には、見慣れた家の天井があって、手には、畳の感触。そうか、背中から畳に倒れ込んだのかと、自分の状況をなんとなく把握する。そしてすこし視線を動かすと、何とも言えない表情で、転がった一騎をみおろす灰色のひとみがあった。

「……えっと……?」
「……」

 総士は無言で、むすっとした顔を背ける。どうしてそんな態度を取られるのかわからないながらに、一騎はとりあえず、身を起こした。総士は無言のまま手元の端末をいじっている。小さな文字や数字が高速で下から上に流れていっているが、いくら並列処理能力があっても、そんなに速く流し見をしたのでは頭に入らないのではないだろうか。つまりこれは、端末に集中しているのではなく、一騎のほうを向きたくないというポーズだ。
 なにか、したっけ。
 一騎はすこし前の自分の行動を振り返った。
 今日は総士が泊まると言ったので、ふたりで夕飯の買い出しをしに行ったのだ。しかし準備をするにはまだ早いからと、家に帰るなり、総士はお茶を飲みながら、端末を手に仕事をし始めた。止めろと言っても聞かないことはわかっていたし、夜はゆっくり休ませるのだからいいかと、しばらくは一騎もお茶を手に、総士の顔をぼんやりながめていた。だが、どうにも手持無沙汰になり、おまけに、総士がそばにいるのに目を合わせてくれないのがさみしくて、総士の背後にまわり、作業の邪魔をしないように抱き着いてみたのだ。総士は少し身を捩ったものの、嫌ではなかったのか、一騎のしたいようにさせてくれた。総士の背中はあたたかく、腰のあたりまで伸びて癖の出てきた髪はふわふわできもちがよくて、頬をすり寄せながら、つい、うとうとと微睡んで――そこからの、記憶がない。
 夢を見ていたのだ。そう、あれは夢だった。一騎はちいさな黒猫で、総士はふかふかの長毛種で、すりよるとそれはもう、きもちよくて。夢だというのに、あのふかふかとした毛の感触は、妙に生々しかった。――もしかして、猫の総士にすりよっているつもりで、現実で、総士の髪におもいきり顔を埋めていたんだろうか。

「……そぉし」
「……」
「俺……、夢見てて……、お前の嫌なこと、なにか、したか?」
「……」
「なぁ……、そうし」

 自分でも、ずるいくらいに弱りきった声が出てしまった自覚はあった。一騎のこの手の声や顔に、総士はとことん弱い。案の定、総士の顔がやっと一騎を見た。怒ったような表情ではなく、困ったような顔をしている。そして心なしか、長い髪からわずかにのぞく耳が赤い。

「……おまえ、が」
「うん……?」
「おまえが……、際限なく髪に顔を押し付けてくるから……」
「うん」
「夢でも見ているんだろうとは思った……しかし、その……」

 その、と、もう一度言って総士が口を噤む。どうにも言いにくそうにもごもごとくちびるを動かすので、不安になる。

「……そうし」

 もう一度うながすように呼ぶと、「おまえが!」と総士はついに顔を真っ赤にして声を上げた。

「ね、猫のように鳴いたとおもったら、す……、すき、だと、いって、」
「あ」
 
 ――だいすきだよ。

 夢のなかで、ふかふかの総士にすりよって一騎は言った。夢ではそれは猫の鳴き声であったはずだが、現実には、ひとのことばとして口に出していたらしい。
 でも、そんな、すきだなんて、数え切れないほど言ってきたというのに。総士のやさしいところがすき、困ったように笑う顔がすき、ひとのことばかり考えるところは心配だけれどすき、ことばより雄弁なうつくしいひとみがすき。総士のありとあらゆるところがすきだと、いつだって一騎は口にしているのに、どうしていまさらそんなに、恥ずかしがるのだろう。――いや、すきだすきだと告げるたび、「すりへるぞ」と言いながら顔を赤くしているのだったっけ。その顔もかわいくっていとしくて、すきだなぁ、というおもいだけ募っていくので、“総士が恥ずかしがっている”という事実を忘れがちだ。

「……そーぉし」

 すっかりそっぽを向いてしまった総士の背中にすりよって、ふかふかの髪に顔を埋める。猫のそれとはちがうけれど、いいにおいがして、やわらかくて、あたたかい。

「すごく良い夢だったんだ。俺もお前も猫でさ、お前はふさふさの長毛で、すごくきもちいいんだ。あったかくて幸せだなぁと思ってたら、夢じゃなくて現実で声が出てたみたいだ」
「……僕は猫じゃない」
「知ってるよ」

 でもきもちいい。
 そう言って髪を撫でていると、多少は恥ずかしさがおさまってきたのか、総士がちらりと一騎のほうを振り向いた。端末をなでていた手が一騎の喉元へためらいがちに伸ばされて、するりと、喉仏をなぞっていく。なんとなく総士の考えていることがわかって、一騎は戯れに「にゃあ」と鳴いてみた。本物の猫ではないから、ごろごろと喉は鳴らせないのが残念だ。もしも本当に一騎が猫だったのなら、総士のそばにいるだけで、ずっと喉が鳴っていたにちがいない。
 総士は困ったような顔をしたあと、ちいさく苦笑した。

「……お前が猫だったら、手を焼きそうだ」
「なんでだよ?」
「自分で考えてみろ」

 首を傾げる一騎のくちびるに、総士のくちびるが重なる。恥ずかしがっていたくせに、行動を起こすのは早いのだ。一騎は積極的な総士のくちびるを食んで、猫とはちがうけれど、一騎をやわらかくつつみこんでくれる、あたたかなからだに身を投げた。


 もうすこしで、ひとの世界にも、冬がくる。


2019.10.27 文庫ページメーカー初出