こがれる

 一騎に、触れられたい。
 そんなことを思うようになったのは、初めて一騎とからだをつなげ合った翌日からだった。
 触れあったり、からだがひらくようにお互い試行錯誤したり、いろいろとあったのちにやっとつながって、よろこびに満たされた夜は総士のなかで未だ生々しい輪郭をもっている。一騎の必死な表情も、欲にとろけたひとみも、重なった肌の熱さも、総士のあちこちに触れた指のうごきひとつひとつが思い出せるほどに鮮明だった。記憶力はもとより悪くないほう――否、秀でているほうだ。だがここまで憶えていなくてもよかったのに、と、思う。行為の最中は、いくつもの情報を並列して処理できるはずの脳はすっかり一騎のことでいっぱいになって、まったく役に立ちはしなかったというのに。
 憶えすぎているせい、なのか、あれ以来、一騎を見かけると、触られたいという欲求がぶわりと身の内からわきあがる。学校にいるときは、そう気取られないように細心の注意をはらっているし、他のことに思考を集中させれば問題はない。だが一騎とふたりきりになってしまう学校の帰り道や、アルヴィス内でばったり顔を合わせたときなどは、どうにもだめだ。総士、と呼ぶ一騎の声に、やわらかな微笑みに、「人がいないからいいだろ」と言ってつながれる指に、すべてに、総士の全神経は引き寄せられる。指が絡まる、そのぬくもりが嬉しいのに、せつない。もっと、ほしい。あの夜みたいに、その指でもっと触れてほしい。そうねがってしまう。


「……よくない」

 ぽつりと総士はつぶやいた。
 休日だというのに部屋にひきこもり、指は黙々と端末を操作している。あたまの半分は一騎のことでいっぱいで、残った半分はきちんとデータを処理し、指に指示を送っている。が、集中しているとは言い難い。
 今日は、一騎が楽園にバイトで入っている。時計を見れば昼などとうに過ぎ、夕方が近い。いつもならば、かならず総士はランチを食べに楽園に行くから、一騎は心配しているかもしれない。けれど、今の状態で一騎を見つめれば、またがまんが効かなくなるだろうと思うと、人の目があるあの場所で食事をするのはどうにも憚られたのだ。
 ――触れられたい。
 すこし一騎のすがたを思い浮かべただけで、じくりと身のうちが疼いた。大きく息を吐いて端末を放り出し、デスクに身を伏せる。
 ――これは、性的欲求不満というものなんだろうか。
 総士は今まで、ことさら、性的欲求を感じたことがない。つねに総士の思考も、欲と呼べるねがいも、自分ではなく他者のために割かれていて、自分自身に向かうことがあまりなかったせいなのかもしれない。感じる暇もなかった、というところだ。今だって、総士はよく一騎に「もっと自分のことを考えてほしい」と心配そうな顔をされる。根っこの部分では今も昔も大差ないはずだ。だというのに、一騎に触られたくて仕方がなくなっているのは、一度、その味をしめてしまったからなのだろうか。
 ――ほんとうに、この欲求はそこにだけつながっているんだろうか。
 触れてほしい、というのは、必ずしも性的な行為のみを指しているわけでは、ない気がする。自分が感じる欲に目を凝らせば、一騎に単純に触れてほしいとか、名前を呼ばれたいとか、手をつなぎたいとか、抱きしめられたい、見つめられたい、やさしくされたい、あの、自分だけに向けられるやわらかくて、かわいらしい笑顔で――……

「うわあああ」

 ――もっとだめだ!
 まだ、シンプルに、性的欲求だというほうが、幾分か良かったような気がする。鏡で見たら茹でた蛸のようになっているであろう顔を腕のなかに伏せて唸っていると、ピピ、と、電子音がひびいた。――よくない予感がする。

『総士、いるか?』

 ――どうしてお前はいつもこういうときばかり!
 いまもっとも顔を合わせたくない――反面、会いたくて仕方がなかった――相手の訪れに、総士はしばし固まった。だが、心配そうな声で『いるんだろう?』と重ねられれば、居留守も使えない。よろよろと扉へ向かい、ロックを解くと、「総士!」と笑顔の一騎が現れた。

「今日ランチに来なかったから、何かあったのかと思ってたんだ」
「……なにも、ない。ただ少し、手が放せなくて……」
「そっか。でも、あの……どうして、顔を上げないんだ?」

 今顔を上げると、お前が料理をすればきっと美味しくてんぷらにでも炊き込みごはんにでもなる蛸ができあがってしまうからだとは言えず、「なんでもない」と声を絞り出す。無論、この「なんでもない」が一騎に通じるわけがないのだが、総士にはそれ以上の言葉を考える余裕がなかった。

「なんでも、なくない、よな。お前、ここ数日ちょっと、変だし」
「っ」

 どうしてこういう時ばかり察しがいいのだろうか。思わずぴくりと肩が揺れたのを見逃さなかった一騎が、一歩、部屋のなかに踏み込む。総士にとって砦であった扉は、一騎の背後で閉じてしまった。

「……もしかして、やっぱり、いやだったのか……? その……こないだの、夜」
「そっ、そういうことではない!」

 一騎に自分のおもいが誤って伝わることを何よりもおそれている総士は、とっさに大きな声で否定した。一騎が面食らったように目をみはったのち、ほっとしたように息を吐く。

「そっか……、じゃあ、えっと、他に、なにかしたか……?」
「ち、ちがう。お前の、せいではなく……」

 総士はうろうろと視線をさまよわせたあと、口を開いては閉じて、それから、またうつむいてから、意を決して声を振り絞った。顔が熱くて、火でも出てしまいそうだ。

「お……、お前を見ると、どうしても……、さわって、ほしく、なる」
「は……、え……?」
「必ずしも性的行為に結び付けたいというわけではない、ただお前を見るとどうしてか……その……」

 自分でもよくわからない、と、ちいさく付け加える。すると、戸惑うような顔を見せていた一騎が、そろそろと手を伸ばしてきた。うつむく総士の頬に触れ、上向かせる。自分がどんな表情をしているかなんて、考えたくもなかった。鏡なんて見なくてもわかる。なさけなく、物欲しそうな顔を、しているにちがいなかった。

「そうし」

 一騎が、とろけたような声で総士を呼んで、無抵抗なからだが抱き寄せられた。あたたかな腕が背中と腰にまわり、つつみこまれると、乾いた喉が潤うように、せつなかったからだが満たされていくのを感じた。――ああやっぱり、これがほしかったのだ。そうすなおに感じて、ほう、と、息をこぼしながら、一騎の肩口になつくように頬を寄せる。

「俺も、あれからずっと、お前にさわりたくって仕方がなかったよ」

 一緒だよと、そう言われて総士はこころから安堵した。自分だけではなかったのか。そうか。互いの内奥に触れ、とけあって、今まで以上に離れた肉体を意識して、欲しいとねがうきもちは、決して自分だけのものでは、なかったのか。
 安心して身を委ねると、一騎が総士の頭をゆるゆると撫でた。きもちがよくて、ちからが抜ける。こうされたかった、ずっと。からだを重ねても、重ねなくても、どちらでも、知ってしまった一騎のぬくもりと離れてしまうのがさみしくて仕方がなかったのだ。

「……かずき」

 すこしからだを離して呼ぶと、総士のされたいことが何でもわかるかのように、一騎はくちびるを軽くふれあわせた。「足りた?」と問われて、照れくさく思いながらも、首をゆっくり横に振る。

「俺も、足りない」
「か……、ぅ、ん」

 二度目の口づけはさきほどよりも長く深くて、それは、またお互いのからだのうちに愛しさもさみしさも呼び起こすつながりの、はじまりの合図だった。



2020.05.06 文庫ページメーカー初出
頭がよくまわり記憶力もいいみなしろくんはたいへんだなぁと思います