我慢したあとのご馳走は美味い

 たぶん、いや絶対、これはたぬき寝入りだ、と一騎はきゅっと眉を寄せた。すぅ、すぅ、と規則正しく吐き出される寝息が鎖骨のあたりを掠めて今にも飛び上がってしまいそうだというのに、寝息の主は何食わぬ顔で目を伏せてぴくりとも動かない。いや、呼吸に合わせて一騎よりも体格が良く幅の広い肩はゆっくり上下しているけれども。それは不自然なほどに自然で、僕は寝ているぞ、という彼の意思表示のようで、「起きてるだろ」なんて言えなかった。
 それに、これはちょっとチャンスだ、と思う自分もいた。
 いつも一騎をやさしく、時に真剣なまなざしで見つめてくる瞳が閉じられ、長いまつ毛が蛍光灯のあかりに透けている。白い肌に繊細な影を落とすそれがうつくしい。ほんのわずかに開いたくちびるは、べつに何を塗っているでもなかろうに、艶々としているように見えた。自分と同じ薄いそれが、なぜか妙にやわらかそうで、一騎を誘っているようにも思えてならない。
 胸元にもたれるからだは明らかに一騎より大きく、重く、おとなの男のそれで、ぴったりとからだの線に沿ったシャツ越しに、無駄なくついた筋肉の隆起を感じる。このひと、ふわふわした髪に誤魔化されるけど、ちゃんとしたからだしてるよな、と、そんなことを考えながら、一騎はそっとその肩に触れた。

「総士」

 本当に、寝てるんだな、寝ていると言い張るんだなと、確認をこめて名前を呼ぶ。五つ歳上の男は一騎の声にわずかな反応も見せず、眠っている――ことにしたようだった。

「……俺が、何もしないって、本気で思ってるのか」

 それは総士への言葉でありながら、自分自身を奮い立たせるための言葉でもあった。
 総士はきっと知っているのだ。一騎が総士に対して並々ならぬ熱を抱えていることも、それをどうして良いか分からないでいることも、自分のどんな言動が、一騎を翻弄しているのかも。彼は真面目で誠実で優しいおとなだけれど、一方で、一騎に対してはどこかこどもっぽい態度を取る。今だってそうだ。自分は手を出さないくせに、一騎にはわざと隙を見せて、手を出したほうが負けだとでも言いたげだ。
 ――いい。負けたって。
 だって触れたいのだ。自分よりもおとなで、きれいで、不意にどこかへ行ってしまいそうなこのひとを、どうにか自分へつなぎとめていたい。
 こどもだから、それくらいのわがまま、許されるだろう。
 そっと眠る総士の顔へくちびるを寄せる。やわらかそうな、寝息を吐くくちびる――の、少し横へ。
 ちゅ、と、かすかな音がすると同時に、規則正しかった寝息が揺らぐ。

「……」
「……顔真っ赤だぞ総士」

 一騎を翻弄するわるいおとなは、耳まで赤くしていた。もしかして本当に一騎が何もしないと思っていたのだろうか。それはちょっと見込みが甘い。このひとはおとなのくせに――いや、おとなだからこそ、こどもの一騎をちょっと甘く見ている。甘く見ているからこそ、こうやって無防備に一騎を誘うのだ。その目論見が外れることなど、とっくの昔にわかっているだろうに。

「総士、かわいい」
「……」
「すきだよ、総士」
「……」
「……くちびるにしてもいいか?」
「だっ、だめだ!」

 寝たふりを継続するのかと思いきや、そこで総士はがばりと顔を上げた。そうか、くちびるはまだだめなのか。わなわなと震えるくちびるは、一騎を待ち望んでいるように見えるのに。

「じゃあ、あと何年したら、していいんだ?」
「少なくともお前が十八になるまでは、」
「わかった。あと四年だな。その頃には総士を気持ちよくしてやれるように、いろいろ勉強しとく」
「……は?」

 一体自分は今何を聞いたんだろうかと言いたげな、ぽかんとした表情の総士に、「待っててくれよな」と満面の笑みで告げて、自分より大きなからだをぎゅうっと抱きしめた。


 四年後の九月に、本当に自分がおいしくきもちよくいただかれることになる――なんてないだろう、と、考えていたこのときの自分がいかに甘かったのか、後に総士は身をもって思い知るのである。



2020.06.29 文庫ページメーカー初出
自分で描いた絵の派生物。年下攻めも好きなのでまたいつかふくらませたい。