午前零時前のふわふわ

「人は疲れているとき、正常に思考が働かないらしい。よって、自分の手にしているものが、ほんとうに必要なものかどうかの判断が鈍る。そのうえ、なぜかふわふわとした柔らかいものに対して異常に慕わしさを感じるようだ」

 ――と言いながら、総士が卓袱台の上にころころと転がしたのは透明なプラスチックのまんまるいケースだった。てのひらにちょうど収まるサイズのそれは、真ん中でぱかりと開く仕様になっているのが見て分かる。中には、もふもふとした何かがぎゅっと押し込められているようだった。
 おそらく、ここへ来るまでに一度開けたのだろう。ケースには剥がされたテープの痕がついていた。
 居間にかけられた時計はすでに日付の変わる直前を指している。「明日は休みだから、今夜は泊まりに行く」と言った総士から、「アクシデントで残業になった。遅くなる」という連絡が入ったのは数時間前のことだ。二人で食べようと用意していたおでんはじっくり煮込まれ、大根なんか、しみしみで美味しくなっているにちがいない。総士は疲れているとき、味の濃いものを好むから、きっと喜ぶだろう、と思って、一騎も食べずに待っていたのだ。
 そのおでんの入った土鍋を一騎が温め直すより先に、こたつの中に入りこんだ総士が取り出したケースは、玄関で出迎えると同時に抱きしめた際、なんでこんなにポケットが膨らんでいるのだろうか、と疑問に思った、その正体らしかった。

「えっと、西尾商店の前の、ガチャガチャか?」
「……ぼんやりしていたら最寄りのアルヴィスからの出口を通り過ぎていたんだ」
「それであっちまで行っちゃったのか」
「飲み物を買うために入れていた小銭がポケットにあって、」
「あぁ……」

 ここ最近の総士は、昼に楽園に顔を出す間もないほど忙しそうだった。ようやく取れた休暇を前に、今日こそ早く上がろうと思っていたのだろうが、こんな遅くまで残業になった挙句、出口を間違えて通常よりも長く歩かざるを得なくなり、完全に疲弊しきってしまったのだろう。そして、暗がりにぽつぽつ並んだガチャガチャと、ポケットのなかの小銭が惹かれあってしまったというところか。
 幼いころの総士は、他のこどもたちが少ない小遣いでガチャガチャに夢中になっていても、僕はいいよ、と、遠巻きに見ていた気がする。本当はやりたかったのか、実際にあまり興味がなかったのか、昔のことはもうわからないけれど、今の総士は思考が散漫になって「うっかり」深夜にガチャガチャを回してしまう青年になった。そう思うと、なんだか可愛くて、頬が緩んでしまう。

「中身、見たのか?  何のガチャガチャだったんだ?」
「……海の生き物がテーマの、ぬいぐるみのキーホルダーだ。昔、乙姫にねだられてまわした時にも同じシリーズだったが、あの頃とラインナップが違った。どうやら第四弾になったらしい」
「地道に進化してるんだな……」
「二回まわしたら、二つとも、エイだった」

 総士がケースの蓋を開けると、ふわふわもこもことした小さなエイのぬいぐるみが出てきた。入っていた説明書を広げて他のラインナップを見ると、カメやマンボウがいるらしい。どれもフォルムがゆるっとしている。何の気なしに説明書を裏返すと、【対象年齢十五歳以上】とはっきり書いてあって、思わず「えっ」と声を上げた。どう見たって、十五歳以上でなければだめだという要素が見当たらない。二匹のエイはこんなにふわふわで、何者も傷つけないようなかたちをして、真っ黒なつぶらなひとみで一騎を見つめてくるのに。
 驚く一騎に、総士は一匹のエイを指先で撫でながら淡々と説明する。

「こういった玩具において、十五歳未満を対象にするには、厳しい検査が必要なんだ。それを避けるためこう書かざるを得ないだけであって、僕も乙姫もルールを破ったわけではない。どれだけ見た目がやわらかくても、これだけ小さいと、こどもが誤飲しないとも限らないしな」

 その厳しい検査云々というのも文化保存の一貫なのだろうか。果たして必要なのかは分からないが、そういう細かいところに拘る癖がこの島の大人にはある。
 ふうん、と、わかったような、わかっていないような返事をしながら、一騎は総士が撫でていないほうのエイをひょいと掌にのせた。

「なぁ、これ、もらっていいか?」
「構わないが、どうするんだ?」
「うーん、部屋に置いておこうかな。せっかくお前のエイときょうだいなのに、外に持ち出すとなくしそうでこわいし」
「……一体どこからきょうだいの設定が出てきたんだ」

 訝しげに言いつつも、不満はないのだろう。もしくは、もう疲れ切って何も思いつかないのか、総士は「僕もこいつは持ち帰ろう。部屋には乙姫と取ったカニがいるしな」と言いながら、もといたケースのなかにエイをやさしくしまった。

「それじゃあ、おでん温め直すな。ちょっと待っててくれ。……あ、それとも、先に風呂に入るか?」
「むりだ。味のしみた大根を食べないともう一歩も動けない」
「お前、ほんとうに疲れてるなぁ」

 こたつ机に顔を伏せて珍しくこどもみたいなことを言う総士の頭を撫でて台所へ向かいながら、一騎は、そういえばエイって、食べられるんだっけ、というようなことを、考えていた。



2020.10.27 文庫ページメーカー初出
私が疲れてまわしたガチャをまんまみなしろくんにやってもらいました