寒がりと甘やかしたがり
がたがたと窓を揺らす風の音を聞きながら、総士はぼんやり手元の端末を眺めていた。外には冷たい冬の風が吹いているようだが、ストーブがつけられた部屋のなかは温かい。風呂上がりのからだはもこもことした部屋着に包まれていて、ていねいにドライヤーを当てられた髪が、まだぬくもりをまとったまま背に流れている。
自分が乾かした総士の髪に顔をうずめて「いいにおい」と、満足そうに暫くすりよっていたこの部屋の主は、入浴中で不在だ。「今夜は冷えるから先に布団に入ってろよ」とは言われたものの、寒がりな総士が冷えないようにと、あれこれ心配りをしてくれる一騎を放って眠るという気にもなれない。そもそも、こんなに部屋をあたためて、部屋着を用意し、冷えやすい足には部屋着とおそろいなのだろう、ふわふわの靴下まで履かせておいて、冷えることなどあるものか。隙間風の多い真壁家は確かにアルヴィスの総士の部屋より冷えやすいけれども、ここまでされて、寒いと感じることはない。一騎は総士を、どこまで寒がりだと思っているのだろう。
――ちがう。
そうではなくて。これは、だいじに、されているのだ。
そう自覚すると、なんとも言えないむず痒さで、ざわざわと落ち着かないきもちになる。
総士が島に戻って来てからというもの、一騎は過剰なほどに総士を甘やかしたがる節がある。一騎が「したい」と望むことに対して、総士に「否や」はない。――いや、正確には、なくはないけれど、たいていのことは許容範囲だ。総士の譲れない部分を一騎はよくわかっているから、そもそも「否や」と答える状況がほぼ発生しないだけである。
だから、一騎が総士を甘やかしたいと言うのなら、それで満足するというのなら、拒みはしない。なかなか慣れないし、恥ずかしいと思うこともあるが、一騎がふにゃふにゃと嬉しそうにしているのを見れば、何も言えなくなってしまう。幸せそうな一騎の顔が、総士はなによりすきなのだ。
けれど。
――僕が一騎を甘やかしたら、どうなるんだろうか。
総士にも、一騎をだいじにして、かわいがりたい、という欲求があった。いつだって甘やかす主導権を握るのは一騎だ。総士は総士でそれに甘んじていたところがある。けれど、たまには、総士も一騎を甘やかしたい。ふつふつと湧いてきた欲で、そわそわ落ち着かないきもちになった。とたん、タイミングを見計らったかのように部屋の襖が開けられる。
「あれ、寝てなかったのか?」
入ってきた一騎は、肩にタオルをひっかけて、総士よりも薄めの部屋着をまとっていた。適当にタオルで拭っただけなのだろう黒髪は、水分を含んだままだ。それを見て、総士はちょっと、むっとした。総士のことにはあれこれ気を配るのに、どうしてこうも自分に対して無頓着なのか。もっとだいじにしてほしい。たとえ一騎が人並み以上に寒さに強いと自負していてもだ。
「一騎、ここへ座れ」
総士は端末を横へ置き、ぽんぽんと布団を叩くと、一騎に自分の隣へ座るように促した。「え?」と一瞬、きょとんとした一騎は、しかし、首を傾げつつもおとなしく腰をおろす。
「そのままでいろよ」と言って、総士はさきほど一騎が使ったまま放置されていたドライヤーと櫛を手に取り、電源を入れた。一騎が何かを言う前に、濡れたままの黒髪に、あたたかな風をあてる。一瞬、何かを言いたげに振り返ろうとした一騎は、しかし、そのまま力を抜いて、総士に身を任せることにしたようだ。それに満足して、総士は一騎の髪を乾かすことに集中する。
一騎の髪は一本一本がしっかりしているけれど、手触りはさらさらとしている。上から風をあてていると、ふだんはあまり見ない旋毛が姿をあらわして、なぜか、かわいいな、と思った。あまり人目に触れることのない場所は、無防備に、幼げに見えるからだろうか。
一騎の髪は総士のように長くないから、水気がとぶのが早い。櫛を手放し、指で髪を梳いていると、まあるい後頭部を、無性に撫でたくなった。欲に抗わず、ほとんど乾いた髪を指に絡めながらゆっくり手をすべらせると、まるで最初から総士の手に撫でられるのが決まっていたみたいに、一騎の頭は総士のてのひらにフィットした。きもちがいい。一騎は眠気をさそわれたのか、こくり、こくりと、舟をこいでいる。
気を、ゆるされている。身をゆだねられている。あまえられて、いる。そう思ったら、きゅう、と、胸の奥がうずいた。
――なんだろう、これは。
むくむくと湧いてきたのは、なんともいえない、庇護欲に近いものだった。
かわいい。だいじにしたい。いつくしみたい。――愛おしい。
小動物やこどもに抱くものと似ているけれど、ちがうものだ。なぜなら一騎は小動物でもこどもでもない。総士にとっての唯一無二だ。ここに在るのが当たり前で、けれど、ほんとうは、当たり前ではないもの。
てのひらに伝わるこの、一騎のちいさな肉体の一部が、そこからつながるすべてが、総士にとってかけがえがなくて――総士のために、総士の願いのために、そして多くの仲間や島のために、何度も傷ついて、削られた。それでも確かに、ここにある。それがうれしくて、くるしい。その身を、こうやって無防備に委ねてくれるのは総士だからなのだと、そう思うから――わかるから、余計に。
一騎が総士を甘やかしているとき、一騎も似たようなきもちだったのだろうか。だからあんなに幸せそうなのに、ときどき、胸をかきむしりたくなるような、切ない顔をするんだろうか。
そう思ったらがまんができなくて、ドライヤーの電源を切り、「終わったのか?」と一騎が振り向く前に、そのからだを後から抱きしめていた。ぐりぐりと頬を頭に押し付けて、大きく息を吐く。あたたかい。
「そ、そうし、なに……」
「……お前もたまには僕に甘やかされろ」
「えぇ……?」
何を言い出したのだと言いたげな声を上げる一騎のからだをいったん離して、もぞもぞ振り向いた彼を正面から胸元に抱き込んだ。驚いてもがく一騎の背を、ゆっくりと撫でる。しばらくすると、抵抗するのを諦めたらしい一騎が、おとなしくなった。
「……なんなんだよ、お前……」
くぐもって聞こえてきた声は不満そうだが、嫌そうではない。乾きたての髪を梳きながら、総士は腕のなかのぬくもりに、頬を緩める。
「かずき」
一騎がそうしたように、総士も、一騎の髪に顔をうずめる。「同じにおいだな」と言えば、一騎の体温がすこしだけ、上がったように感じた。もごもごと何かを言っているようだが、声がちいさすぎて聞こえない。「なんだ」と問えば、「……もう、なんでもいいよ」と、諦めたような、拗ねたような答えが返ってきた。
総士はちいさく笑って、一騎を抱きしめたまま、ごろりと布団に横になる。めくってあった毛布と掛け布団をたぐりよせて、肩まで引き上げた。本格的にこのまま眠る気だと悟ったのだろう。一騎が「逃げないから、電気だけ、消してくれ」と言うので、総士は身を起こして、電灯の紐をひっぱった。ストーブはタイマーが設定されているから、そのうち勝手に消えるだろう。
総士の腕のなかで、ごそごそと居心地の良い場所を探していたらしい一騎が、ほう、と息を吐いて力を抜いたので、総士もゆっくりと目を伏せる。
「……一騎、寒くないか?」
「……寒いわけ、ないだろ」
ぽつりと応えた一騎が、ぐりぐりと胸元に額を押し付けてくるのがどうにもかわいくて、ああ、これは癖になりそうだな、と、思いながら、総士もぬくもりに身をゆだねた。
2020.12.03 文庫ページメーカー初出
総士を甘やかしがちですが一騎をめいっぱい甘やかす総士も見たい