冬のいもむし
「総士、いいかげん出て来いよ」
「……いやだ」
さて、このいもむしをどうしようか、と、一騎は思案していた。
正確には、いもむしではない。掛け布団と毛布を頭から足の先までしっかりかぶった物体は、十七歳のみずみずしい肉体とうつくしい亜麻色の長い髪の毛を持った人間――総士である。
一騎の朝は早いので、総士が泊まった翌朝、彼を自分と同じ時間に起こすことはない。しかし、もうすでに朝食はできてしまっているし、時計は午前九時を指そうとしている。おまけに総士は、起きていないわけではないのだ。しっかり覚醒しているにもかかわらず、布団から出てこようとしない。さきほどから何回このやりとりをしたことか。
一騎の記憶にある総士は、熱さや寒さに極端に弱いということはなかった、はずだ。離れていた時間が長いので、一騎の記憶はほとんどが幼い頃のものであり、あの頃と今では、自分も総士もいろいろと変わってしまった。
総士の肉体はいわゆる人間と同じものではなく、フェストゥムに近い。再生されたそれに馴染むまで不調は多かった。だが、最近ではほとんど普通に生活できているし、十四歳のままだった体格も、冬にかけてぐんぐんと成長したように思う。本人いわく、最近の検査でも特に異常はないとのことなので、寒さが彼の肉体に何らかの悪影響を及ぼしているというわけでもないだろう。
つまり、単に、寒いのが嫌なのだ、このいもむしは。
いわゆる人間の肉体だって寒さで弱るし、日照時間の短い冬は精神的にもダメージを受けやすいとはいう。寒さが苦手なことを軽んじているわけでは決してない。一騎も好きか嫌いかと問われれば、せめて、朝一番に起きたときの台所の床の冷たさが、もう少し控えめであったらなぁとは思う。――が、布団の中にいても状況は好転しはしないのである。あたたかい朝食を食べることは、からだを内からあたためることにもなるし、気分を上昇させもする。
「そ~し」
「……」
まったくもう、と、一騎は布団のそばにしゃがみこむと、おもむろにその中へ身を潜らせた。総士のからだが少し跳ねるが、それに構わず、後ろからぎゅうっと抱きしめた。台所も居間もストーブであたたまっているから、一騎のからだも、そこまで冷たくはなっていないはずだ。
「総士、あったかいなぁ」
「……お前もだ」
「そうだろ? 外もそんなに寒くないよ。居間はあったまってるし、炬燵もあるし」
「……廊下も洗面所も寒い」
「お前なぁ……」
確かにアルヴィスとちがい、隙間風は入るし、床からしんしんと寒さが染み込んでくる家ではあるが、それはもうどうしようもないことだ。だけれども、総士がこうして駄々をこねるような物言いをすることはとても珍しく――島へ帰って来てから、初めて見せるようになった部分なので、一騎は困った声を出しつつも、実は、全然、困ってなんかいない。ちょっと呆れてはいるけれども、総士がわがままを言う、甘えてくれる、というよろこびのほうが、どうしたって、勝ってしまう。
だから、一騎は総士がもっと甘えてくれるような提案をした。
「布団から出て居間に行くまで、ずっとこうやって後ろから抱きしめておいてやるから。それなら、多少はあったかいだろ」
「……」
くるり、と、総士が顔だけで振り返った。本気か、とでも言いたげに一騎を見つめてくるので「足りないか?」と敢えて困ったように言って眉を下げた。とたん、一騎のそれが移ったように困り顔になった総士が頬を染め、もぞもぞとくちびるを動かしたあと、「……悪くない提案だ」と口にした。
ならば、善は急げだ。
一騎は総士を抱きしめたまま引き上げ、布団を跳ねのけると、「せーの!」と言って無理やり総士を立たせる。うわ、と、総士が驚いたような声を上げるが気にしない。
「ほら、総士が歩いてくれないと前に進めないぞ」
「わ、わかっている……!」
だがこれは予想以上に恥ずかしいというか難しいというか、ごにょごにょ、と総士がつぶやいているのも無視だ。ふたりならやれるさ。運動会の二人三脚みたいだと思いつつ、スリッパをはいて、よたよたふらふら、なんとか洗面所に辿りつく。「このままするのか」と言うので、「だって寒いんだろ?」と言うと、うぐ、と言葉を呑み込んだ総士が手早く顔を洗い、歯を磨き始める。いっそ居間に直行して朝食を取ればいいんじゃないかと思うけれども、ここは総士の譲れない順番なのだろう。総士は歯を磨くのも行儀が良くて丁寧だな、なんて思いながら見つめていると、「あんまり見るな」と鏡に映った総士に視線をそらされた。
やっと居間に辿りつき、総士が炬燵に入るのと同時に、一騎は背中から離れる。役目は終わりだ。――終わり、なのだけれども。
「ありがとう、一騎。……一騎?」
「……」
名残惜しくて、畳の上に膝をついて、もう一度総士を後ろから抱きしめる。いつも前から抱きしめるときと、一体何がちがうのだろう。腕のなかに総士のぬくもりがある、というのは、どちらも変わらないのに。なぜか、こちらのほうが、総士を包んでいる、守っている、というような、きもちに、なる。――いや、守りたい、だいじにしたい、このまま、閉じ込めておいてやりたいような、そんなきもちだ。不思議だなと思いながら、ぐりぐりと頬を後頭部に押し付ける。
「なんだ? 朝食を早く食べてほしいのではなかったのか?」
「んー……、なんか、総士さ、俺のことときどき、こうやって後ろから抱きしめるだろ」
「ああ……まぁ……」
「総士がそうするの、わかった気がする。これ、きもちいいし、くせになる。総士のこと、もっとだいじにして、かわいがって、甘やかして、閉じ込めておきたいっておも――もごっ」
「もういい黙ってくれ、せっかくお前の作ってくれた朝食が喉を通らなくなったらどうする」
顔を真っ赤にして一騎の口をふさいだ総士は、つまりは図星なのだな、と、一騎は思った。一騎のことがすきでたまらなくなって、総士はきっと、ああするのだ。一騎も総士に後ろから抱きしめられるのはすきだ。あたたかくて、安心する。総士もそうだったらいいな、と、思いながら、一騎はぎゅうっと一度強く総士を抱きしめて、手を離した。羞恥で熱くなった総士は、きっともう、寒くなんてないだろうから。
「味噌汁、あたためなおすから、ちょっと待っててな」
今日は根菜だぞ、と言いながら台所へ向かう一騎のうしろで、そんなに簡単に離れるな、と、総士が拗ねたようにつぶやいて、炬燵にもぞもぞ潜りこんでいた。
2020.12.20 文庫ページメーカー初出
総士は暑さにも寒さにも弱いイメージを勝手に持ってしまう