たとえ何度も傷ついたとして



「お前の言うとおりにするよ、総士」

 その言葉に頷きながら、おだやかな顔をするようになった、と、そんなことを総士は思った。なんだかいつも、ふわふわとして、おぼつかなくて、ここにいるのに、心はここにないような、そんな顔をする男だった。総士以外に見せる顔は違ったのかもしれないが、少なくとも総士にとってはそういう印象だった。
 けれど、あの日から――総士が男に、真壁一騎に勝った――竜宮島が浮上した日から、彼は心からおだやかな、凪いだ海のような顔をするように、なった。
 たぶん、ほんとうは、それが彼の本来の顔なのだ。エレメントだと、役目があると、勝手に自分の運命だの限界だのを決めていたとき、そこにあったのは諦念だった。未来を目指す意思があったことは否定しない。彼の担った役目を、ここまで辿りついた人生を、すべて否定するわけでもない。しかし総士の目から見て、真壁一騎という男は、諦めていた。諦めて、自分を犠牲にすることで、役目を果たして、そして、どこかへいってしまいたいと願っている男だった。
 今はきっと違うのだ、と、思う。
 だから、必要だと思った。彼がなによりもとらわれていて、つまりそれだけ大切で、分かちがたかったものを、手放すことが。もちろんそれは、忘れるとか、消え去るとか、そういうことではない。総士が乙姫の消失を忘れずに、けれど受け入れたように、彼も、いったんその手を離すことで、受け入れるべきなのだ。
 もうここにはいない。総士に未来を託した存在は、もういない。だから、そのかわり、こうして、未来に辿りついたのだ。それを、受けとめて、そして進むべきだと、そう思うから。

 固唾を飲んで見守っていた周りのひとたちが、一騎が灯篭を受け取ったことで、すこし安堵したような顔を見せた。みんなたぶんずっと、心配だったのだろう。そう、心配してくれるひとがいる、それはとても幸せなことで、だからもうこいつも大丈夫なのだと、そう思って席に戻ろうとした、ときだった。

「……」

 ぱた、と、なにかが、こぼれ落ちた。
 ぱた、ぱた、と、灯篭に落ちて、しみこんでいく。皆城総士と、そう書かれた灯篭のうえに、あの日、島に降りそそいだ海の雫みたいに、それはとめどなく落ちる。

「一騎……」

 声を出したのは甲洋だった。そこでやっと、なにかに縫い止められたように動けなくなっていた総士は、はっとする。
 ――泣いている。
 一騎が、何も言わずに、泣いているのだ。ぽろぽろ、ぽろぽろ、榛のひとみから透明なものが生まれては落ちて、止まらない。

「え……、え……」

 ――僕のせいか?!
 一騎の泣くところなど見たこともない総士は思わず狼狽えて、きょろきょろと周りに助けを求める。しかし、真矢も美羽も、剣司たちも、呆然と一騎を見ていて、総士のことなどフォローしてくれない。

「……なんで、」

 ぽつりと、ようやくつぶやいたのは一騎本人だった。ごしごしといささか乱暴に涙を拭うものだから、はっとして寄ってきた真矢が、「擦っちゃだめ、一騎くん」と、ハンカチを差し出す。いいよと断ろうとする一騎に、真矢は首を振ってハンカチを渡して、いいんだよ、と、言う。

「いいんだよ、一騎くん」

 それがとどめだったみたいに、一騎はまたしずかに、ぽろぽろぽろぽろ泣いた。泣き方もわからないこどもみたいに、ぎゅうっと、総士が渡した灯篭を抱えこんで。





「一騎お兄ちゃんね、一度も泣いたこと、なかったんだよ」

 楽園からの帰り道に、美羽がそう言った。
 ひとしきり泣いた一騎が落ち着いて、ごめんと謝る彼を、剣司や甲洋や咲良が、なぜかこどもにするみたいに撫でて、一騎が「も、もういいから……」とおずおず辞退するまで構って、その場は解散となっていた。

「総士お兄ちゃんがいなくなって、本当はとてもかなしくて、さみしくて、自分の全部がなくなったみたいにくるしくて、……だけどね、泣いたこと、なかったの」
「……僕が泣かせたって言いたいのか?」
「泣かせたんじゃなくて、やっと、泣くことができるようにしてくれたんだよ」

 総士が、と、美羽がほほえむ。
 泣く、というのは衝動だ。感情と直結しているものだ。それなのに、かなしくてもさみしくても泣けないということが、総士にはわからない。
 そう言うと、「いないんだって、ほんとうに受け入れたときに、初めて気持ちが追いついてくることもあるんだよ」と美羽が言った。

「受け入れたらずっとかなしい。ずっとさみしい。思い出すたびに、まるではじめてのことみたいに」
「思い出す、たびに……」

 おにいちゃん、と、呼ぶ声を総士は思い出す。そのたびにさみしくてかなしくて、くるしくなる。だけどもう、彼女が帰ってこないこともわかっていて、受け入れている。失うとはそういうことで、そしてそれこそ、かれらが生きていたあかしだ。
 彼も、辿り着けたのだろうか。かなしくてさみしくて、だけど、だから、忘れない。そばにいてくれたことを覚えていたい。何度もはじめてみたいに傷ついたって、それでも――それでも。
 大切で、愛おしいものだから。

「……灯篭流すときも、泣かなきゃいいけどな」

 ふん、と、そう言いながら、でも、泣いてもいいんだと総士は思った。泣いてもいい。何かだから、誰かだから、何かをしてはいけない、何かをしなきゃいけない、ここはもう、そんな世界じゃない。いいのだ、泣いて喚いて、かなしいと、さみしいと思い知ればいい。

 そうして涙を流したあとのひとみには、変わらずに、あのうつくしい蒼い空が、映るのだから。



2021.11.05
初日に10~12話を3回見てホテルに帰ってすぐ書いたもの。今の想いを形にしておかなきゃと思って書いた。ほんとうにあのシーンがだいすきなんだよなぁ……。