まだ、わからなくても
一騎はぼんやりと、水平線の彼方を眺めていた。
空は高く、蒼く透きとおって、海はきらきらと太陽のひかりを跳ねさせている。吹き抜ける風はいくぶんか涼しくなって、日差しも、焼けつくようなものではなくなった。夏から秋へうつり変わる季節を、こうして穏やかに感じるのも、気温やひかりや色彩を身の内へ受け入れるのも、久しぶりだった。
偽装鏡面が不要になった竜宮島で季節を司るのは、島のミールによるバイオスフィア機能である。もちろん島の停泊位置の気候にも多少の影響は受けるが、いったん戦いが収束してからこちら、島はかつての日本付近に錨をおろしていて、一騎たちが慣れ親しんでいた、穏やかな四季が島を包んでいた。
一年ほど甲洋とともに世界中をめぐって、さまざまな気候の土地で過ごしたけれど、ここがいちばん落ち着くのだ、ということを、しみじみ感じる。からだの感覚を取り戻して、なおかつ、島の外に長く身を置いたからこそだ。――あの、苦しく険しい行軍の後もそうだったけれど、あのころは、あまりそういったことを感じる余裕もなくて――……。
「……いつまで、ここにいるんだよ」
不意に、隣からむすっとした声がして、一騎は視線を横へ向けた。一騎の隣、防波堤の上で片膝を立てて座ってこちらを睨んでいるのは、総士である。戦いが終わって一年ほどで、背や髪が少し伸びたように感じるけれど、ぷく、と、頬をふくらませて、つまらなさそうにしている姿は、まだまだこどものそれだった。
どうにも時間の感覚はあいまいで――これはひとではないからだを得る前からたいして変わりはしないのだが――総士がむくれるほどの時間が経ったろうかと首を傾げる。
「ごめん。でも、他に行くところも、特にないし……」
「あるだろ! ほかに!」
「……どこかあるのか?」
「……どこでも……、いや、お前が行くようなところ、僕には思いつかないし、わからないけど……」
それでも何かあるだろう、と睨んでくるこどもに、一騎は苦笑を返す。
多少なりとも会話をしてくれるようになったものの、まだ一騎とは一定の距離を保っている総士とこうしてふたりでいるのには、わけがある。
「準備するから、その間、ふたりでどこかに行ってきて」
と、笑顔で言ったのは真矢だった。
準備というのは、喫茶楽園で開催される一騎の誕生日祝いの準備だ。
ここ数年は諸々の事情で開催されることのなかったそれを、ちょうど島にいるのだからと、真矢や剣司たちが企画してくれたのである。呼ばれているのは甲洋など同級生パイロットから、芹や里奈、零央たち後輩や、ケーキが食べたいと言った輝夜や朔夜、そして美羽と総士だった。
開催は昼からだったはずなのだが、一騎が呼びだされたのは午前中で、もしや料理は自分が作ればよいのだろうか、パーティー用の料理は久しぶりだな、たくさんつくるのは好きだし――などと考えながら向かったところ、「一騎くんを準備のために呼んだわけじゃないよ」と真矢に言われたのである。
準備じゃなければ何のためにと思ったところで、先に来ていた総士とふたり、いってらっしゃい、と、送り出されたのであった。
――気を遣ってもらった、のかな。
おそらく、思いついたのは真矢や美羽だろう。なかなかふたりで話す機会のない一騎と総士に、気まずくならない程度の時間をくれたというところだろうか。誕生日会までは、二時間程度だ。何も話せなくなっても、どうにか耐えられる程度の時間だった。
一騎は話をするのが、決して得意ではない。今の総士がどんなものや場所を好むのかも知らなかったし、話題も浮かばない。だから、ひとまず景色でも一緒に眺めていようかと思って海辺に来たのだけれど、総士にとってはつまらなかったらしい。それもそうだ。一騎だってこどものころ、じっとしているより、動いているほうがすきだった。
「ええと、その、どこかで、遊ぶか?」
「はぁあ? ばかにしてるのか?」
――そうか、こどもとはいえ、もう幼いこどもとはちがうのだから、遊ぶのはだめだったか。
加減がむつかしい、と、思いながら、一騎は「総士は、なにをするのがすきなんだ?」と聞いてみた。そうだ、会話をするというのは相手を知ることから始めるものである。
「……なにって……」
「遊びでも、勉強でも、場所でも……、いま、総士がすきなものが知りたいんだ」
すると、総士はぱちぱち目をまたたかせたのち、「まぁ、教えてやらないこともないけど」と言って喋りはじめた。
すきなものは、本と、ファフナーと、ゴーバイン。尊敬しているのは零央や美三香など、自分に戦うことや生きることを教えてくれたひとたち。これからもっとうまくなりたいのは料理。興味があるのは、島のミールのこと、同化現象のこと、ファフナーのこと。付与されたアクセス権限を無視――というか、外してしまって、勝手にアーカイブの奥深くまで潜って知識を得るのは朝飯前。竜宮島のなかで好んでいるのは、自然がたくさんあるところと、新しく設えられた図書館、それから喫茶楽園――と、総士は一騎が合いの手や質問をはさまなくても、ぺらぺらと喋る。表情が徐々に得意げなものになっていくのがおもしろい。
総士は、自分のことを話すのが不得手ではないのだ。むしろ、美羽には顔を顰められるくらい、好きなほうなのだろう。
方向性はちがうけれど、ひとつ問うと、それに関する情報を事細かに話して聞かせてくれていた〝彼〟を思い出して、一騎はちいさく笑った。総士のことばやすがたが、一騎のなかにある、だいじな記憶の箱をそっと開けてくれるような、そんなやさしい感覚だった。
すると、総士がふと話すのをやめ、またすこし、不満そうな顔になる。
「……お前、そういう顔がちゃんとできるんだろ」
「え?」
「まだどこかに感情とか表情とか、そういうの、落としてきているんじゃないかと思ってた。でもそうじゃない。それならなんで、うれしそうにしてないんだ」
一騎は、総士の言葉が何を指しているのかがわからずに戸惑う。感情や表情は――一時期に比べれば、おそらく、たぶん、随分と昔のように戻ってきたのではないかと思っている。自覚の部分の話なので、他者から見れば異なるのかもしれない。けれど、うれしそうにしていない、とは、何に対して――。
一騎が自分の言わんとしていることを汲み取れないでいると気づいたらしい総士が、呆れたように息を吐き、
「遠見さんが誕生日を祝う会をしようって言ったとき、ちっともうれしそうじゃなかった」
と、言った。怒っているような、けれど、それだけではなくて――すこしだけ、かなしそうな顔で。
「……そうか」
自分では、全くわかっていなかった。
うれしくない、わけではなかった。けれど、真矢に告げられたとき、自分のこころが喜びよりも、戸惑いのほうへ動いたのは確かだった。総士が気づくのなら、真矢も気づいていたのだろう。真矢は見逃してくれた――一騎が自分自身の感情に気づいたり、みとめたり、向き合うのに時間がかかるのを知っているからだ――けれど、総士は見逃してくれなかった。
「総士、よく見てるんだな」
純粋な感心だったのだが、総士は、本来あまり好きではないはずの一騎を見ていると指摘されたのが気まずかったのか、「たまたまだ!」と声を上げる。
「僕は、嫌だったんだ。誕生日って、祝われるのは、うれしいものだろ。すくなくとも僕はうれしかった。あのときも――、不思議なきもち、だったけど、でも、うれしかったから、みんながお前を祝おうって言ってるのに、そのお前がいちばんうれしそうじゃないのが、納得いかない」
あのとき、というのが、海神島で決戦の前にルヴィと総士を祝ったときのことだと気づいて、一騎は目を細める。そうか、うれしかったのか。よかった、と、もう一年ほど前のことなのに、今になってほっとしてしまう。
そして気づいてしまった。そうか、総士はこれが言いたかったのだ。誕生日会をする前に、ちっともうれしそうじゃない一騎に、なんでだと言いたかった。――だから、呼び出した。
「遠見じゃなくて、総士だったんだな」
一騎を早く呼び出して、みんなのいないところで話をするよう仕向けたのは、他の誰でもなくて、総士なのだ。真矢は、言い出せない総士の代わりに、ああやって言ってくれたのだろう。
総士は視線を一騎から逸らして頷いて、「そのままのお前が、あの場所にいるのは嫌だった」と言う。きっと他のみんなであれば、一騎がどんなに戸惑っていて、うれしそうにしていなくても、今は仕方がない、と、各々のやさしさでもって見守ってくれたのだろう。それも、やさしさで、けれど、総士も――とてもやさしいと、思う。
そしてきっと、総士しか、こんなふうには言ってくれない。
「お前にとって誕生日ってなんなんだ? 今までも、祝ってもらってたんだろ。だから僕のときも、同じように、したんじゃないのか」
総士がすこし、かなしそうな顔をした理由がわかった。自分は祝ってもらってうれしかったのに、祝ってくれたはずの一騎が、誕生日というものを蔑ろに――はしていないまでも、受け止めていないように見えたのだが、かなしかったのだろう。
こどものこころはあんなに芯が強いのに、まだおさなくて、やわらかくて、とても素直だ。それを愛しく思いながら、一騎はゆっくり口を開いた。
「……俺はずっと、自分の生まれた日っていうのが、どういう意味を持つのか、たぶん、わからなくて――……、今はもっと、わからなくなっているのかもしれない」
かつての、総士とともにあったころは、違った。自分が存在している意味をずっと探していたけれど、それでも総士が、お前が生まれてきてくれてうれしいと、そう言ってくれるたびに、一騎のなかで、一騎自身の存在がだいじなものとしてかたちを持った。そこにあるのだと、そう思えた。
しかし、総士がいなくなって、一騎自身もいわゆる人のからだではなくなって、自分のいのちの意味を問うよりも、世界のことわりに従って生きるようになった。自分は〝そういうもの〟だと、あらかじめ決められていると思っていた。意味を問うくるしみの代わりに、疑わなくてもよい役割を与えられたと――思っていた。
そして、そこから解き放たれたいま、一騎はまた、もう一度、なぜここにいるのかを問うことになった。
いのちの使い道、自分がここにいる意味。どうして生まれて、どうして、ずっと、生き続けるのか。
それがまだわからない。だから、久しぶりに「誕生日」を意識することになって、一騎は戸惑っている。
――思うことをぽつぽつ、途切れ途切れの言葉で話す一騎を、総士は口を挟むでもなくじっと見ていたが、話し終えたとたん、ふん、と、息を吐いた。
「なんで、意味が必要なんだ」
「え……」
思ってもみなかった言葉に一騎は目を瞬かせる。
「意味がなければ存在できないなんて、そんなの誰も決めていない。意味のない存在――ただそこに存在する、ということへの苦痛は、人類にとって共通らしいから、一考の余地はある。ただ、お前のそれは、なんていうか……、まず、分けるべきだ。お前の知っている皆城総士がいないことに対する苦痛やかなしみと、お前が生きる意味を見いだせない苦しみは、別のものだ。そうでなければ、皆城総士がいないから生きている意味がない、って、そういうことになるだろ。でも……、そうじゃ、ないんじゃないか」
そうじゃ、ない。
そうじゃないのか?
――そうじゃない。
一騎は自分のなかで反芻し、飲み込む。ちがう。総士がいないのがかなしくて寂しくて、自分も総士のところへ行きたかった。けれど、今はそうではなくて――かなしくて寂しいまま、総士が辿りつかせてくれたこの未来で、すくなくとも、このいのちがいつか、もういいよと言われるまでは、生きていようと――総士がくれたうつくしい世界をすこしでもこの目に映していようと、そう、思っていて――。
「……、そっか……」
確かにべつのものなのだ、と、一騎は胸に手を当てる。
このいのちについて、喜んでくれるひとたちがいることを、うれしいと、そう感じるのもまた、存在の苦痛や、別離の悲しみとも、両立するものなのだ。
それを、こどもに教えられる。
総士のひとみはまっすぐで、純粋さと希望を宿した夜明けのひとみは、かつての総士とやはりちがう。似ているけれどちがって、そして、だから、一騎をみちびく言葉も、方向も、ちがうものなのだ。
「……総士はやさしくて、すごいな。ありがとう」
「………、だから、そういう顔も、できるんじゃないか」
総士はむくれた顔の端をすこし赤くして、ぷいっと視線を逸らす。「お前のためじゃない」と言うのは、半分本心で、半分は照れ隠しなのだろう。一騎に対して持っている複雑な思いはそのままに、一騎がうろうろと迷ったり、立ち止まったりしているのを見ていられない、やさしいこども。彼が遺して、託していったこども。
まだきっと、触れるのはゆるされないだろうから、ずっと幼かった総士にしていたみたいに、頭を撫でたくなった手はひっこめて、そのかわり、今来た道を指さした。
「戻ろうか、楽園に。俺、大人数の料理をつくるのがすきなんだ。俺がつくるのはおかしいかもしれないけど、みんなが俺を喜ばせようとしてくれるなら、俺もそれだけ、返したいから」
「……それなら僕も、手伝ってやらない、こともない」
それにお前の料理の手際については、盗みたいところがある、と、そう言いながら先に歩き始めた総士の半歩後ろに、一騎は続く。
自然と口元に浮かんだ笑みを見て、ちょっと振り返った総士が、ふん、と、満足そうに口の端を上げた。
2022.09.21
お誕生日おめでとう。ゆっくりやさしい時間を生きていってね。