おなかすいたそうし
総士はおなかがすいていた。
調べ物をしていたらつい時間を忘れてしまい、気づいたら楽園も、アルヴィスの食堂もとうに営業を終えているころだった。普段は部屋のなかに常備している携帯食料も、このタイミングで底を尽きていて――夕方に買い出しに行こうと思っていたのだ――残るは、食堂の入り口に、夜勤のスタッフたちのために置いてあるカップ麺やスープの自動販売機くらいしかない。
もちろん総士も何度かお世話になったことがあるし、嫌いなわけではない。だが、どうにも今日はそれらを食べる気分ではなかった。なぜか。それは、ここ数日アルヴィスの中にこもっていて、そろそろ一騎のつくるものを食べたい、と、思っていたせいだ。
それなのに楽園の営業時間を考えて行動できなかったことが悔やまれる。スケジュール管理は決して甘いほうではないのだが、自分自身の自由時間についてはないがしろにしがちであった。
食べたいものはもう食べられない。では、どうするか。
――寝るしかない。
そういうわけで総士は、シャワーを浴びて、部屋の電気を落とし、ベッドにもぐりこんだ。しかしどうにも眠れない。
眠れないのなら、調べ物の続きをしているほうが効率的なのではないのか。いや、睡眠時間を削ることは、なによりも効率が悪い――などなど、頭のなかでぐるぐる考えているうちに、総士は枕元に置いてある端末を立ち上げていた。行儀が悪いとは思いつつ、ベッドに寝ころんだまま、さきほど調べていたページを開き――かけた、けれど、無意識に指が、写真フォルダをタップしている。その中身は、優秀なAIがジャンルごとに細かなフォルダを作って整理してくれている。そのうち【料理】というフォルダを選ぶと、ずらりとサムネイルが並んだ。適当にスクロールして遡り、数か月前の写真を開く。
「……一騎の生姜焼き……」
真壁家で夕飯をいただいた日のものだ。生姜焼きに、ほうれんそうの胡麻和え、ねぎとわかめの味噌汁、白米。その次の写真をめくる。やはり真壁家でいただいた昼食で、そばにかき揚げが添えられている。このかき揚げは小海老と枝豆が入っていて、とても総士好みの味だった。一騎は揚げ物もうまい。その次の写真は大盛りの唐揚げだ。たまたま楽園の夜の営業時間にパイロット仲間たちが集っていて、みなが腹が減った、肉が食べたい、と言ったので、一騎が大量に揚げたのだ。大盛りになっている唐揚げなんて大人数で食べることがなければ見ることもないので、なかなかの迫力だった。天ぷらにしても唐揚げにしても、一騎のそれはからっと揚げられ、噛むとサクッと音がする。中からじわりと肉汁や、食材のうまみがしみだしてきて、絶品なのだ。さらにその次の写真は、おかゆだ。これは――総士が珍しく風邪をひいて、一日部屋で安静にしていたところ、一騎がわざわざ土鍋におかゆをつくって、持ってきてくれたのだ。たまごが入って、梅が添えられたシンプルなおかゆは、くちのなかで優しい味がひろがって、身も心も癒された。その次は――その次の写真も――めくってもめくっても、総士の【料理】のフォルダのなかは一騎のつくったものばかりだ。記録のために写真を撮るようにしていたが、ここまで一騎のつくるものばかりを食べているとは思っていなかった。いや、わかってはいたのだが、いざこうして並べてみると、もはや総士のからだは一騎のつくるものでできている、と言っても過言ではない。
「……はらが、へった」
空腹で眠れないのに、なんてものを見てしまったのだろう。そう思うのに総士の手はとまらず、これはうまかった、これもうまかった、なんて、次々に一騎のつくってくれた食事を振り返ってしまう。むりだ。はらがへった。たべたい。
――こん、こん。
かすかな音だった。部屋の主が眠っているのならば起こすまいとする――もしも起きているのなら気づくであろう、という、控えめなノックの音。インターホンもついているのに、相手を気遣って敢えてノックをする、という人物など、ひとりしかいない。
総士はのそりと身を起こし、ベッドの脇にあるスイッチで扉を開ける。
「あ、起きて……る?」
案の定、煌々とあかりの灯った廊下に立っていたのは一騎だった。その手には紙袋がぶらさがっている。
「……深夜だぞ」
「もしかして起こしたか? ごめんな。今日は楽園に来そうだったのに来なかったから、仕事に集中して、飯食うの忘れてるんじゃないかって思ってさ」
まさにその通りである。昔はあんなにすれ違っていたのに、今の一騎は、総士の行動が手に取るようにわかるらしい。「それはお前がわかりやすくなったからだよ」と一騎ならば言うであろうか。それもその通りだ。
総士は一騎を招き入れ、ベッドからおりる。部屋のあかりをつけ、寝間着のまま、一騎といっしょにソファに腰をおろした。
「腹が減って眠れなくてな、どうしようかと思っていたところだった」
「なんだ、じゃあ当たってたんだな」
一騎がほっとした顔をして、「楽園の残りもので悪いけど」と言いながらタッパーを出し始める。残りものと言うけれど、実際はそれに多少アレンジが加えられたものなのだと総士は知っている。起きているか寝ているかもわからない総士のために、一騎は、そうしてくれる。どうして、真壁一騎という男はこうも総士に甘いのだろう。――いや、それだって、わかっている。わかっているし、正直、期待もしていたのだけれど。
「こっちは豚のピカタで、あとこっちはかぼちゃのスープで、それから……」
「一騎」
なんだ、と、総士のほうを向いた無防備な一騎のくちびるにくちづけて、そういえばこちらもずいぶん空腹だったのだ、と、総士は思った。
2023.04.20
初出:2023.04.15 文庫ページメーカー