だれもしらない
「きみは、何もかも、わかっていたのか」
総士は、その言葉を、かなりの時間をかけて絞り出した。言葉を向けられた海神島のコアは、総士を見つめ、否定も肯定もなく、ただ、穏やかなほほえみを浮かべる。
竜宮島の地下深く、ウルドの泉と呼ばれるそこは、結晶でできた森のようにうつくしかった。多くのいのちがたゆたい、それらはかなしくもやさしく、ここに住んだことなどないはずなのに、どこか懐かしい。総士や、ミールを異にするルヴィを拒むこともなく、ただきらきらとひかりを降らせている。
かつての皆城総士は、これを、存在と無の地平線と呼んだ。生きたものたちの情報――いのちの記憶が集まり、育まれ続ける場所。つまり、今という未来のために犠牲になったものたちの居場所だった。
ゴルディアス結晶の群れを見上げ、ルヴィはふと息を吐く。
「過去は、不変です。誰のちからをもってしても、戻ることはできません。それを、ここにある記憶は証明しています。戻れないから、遺されたものは永遠に積み重ねられ、地平線を広げてゆく。けれど、未来は常に変わってゆくものです。それが、今、ここになるまで。――かつてこの島には、未来を見ることのできるコアがいました。けれど彼女も、こんな未来が本当に訪れるのだと確信していたわけではありません。ただ、そうであるよう信じ、願い、いのちを、次のコアへ託したのです。かつてここに生き、あなたに未来を託した皆城総士も、美羽やわたしに未来を託したエメリー・アーモンドも同じ。希望や可能性はいつも、未知の未来にしかありません。未来は無数に広がっていて、たとえそれらが見えたとしても、人々がどの未来に向かって何を選んでゆくのか、わたしに干渉できることではありません」
「だから、きみが意図的に誘導したわけじゃないって言うのか」
「なぜあなたは、そう思うのですか?」
問い返され、総士は言葉に詰まった。ルヴィにこんなことを聞いたのは、ずっと、こころのなかにもやもやとしたものがあったせいだ。
ルヴィは最初から、なにもかもを知っているようだった。ニヒトに乗った総士が激情のまま島を破壊しようとすることも、マリスが島に訪れることも、それは避けられぬ試練なのだと、まるで最初から、わかっていたようだった。美羽と総士が出逢い、そうして、美羽が、変化してゆくことすらも。
「……僕は、僕の自由意志ですべてをつかみとった。そのつもりだし、実際、そうだ。でも、
「それが、受け入れがたいことなのですね」
頷けば、ルヴィが「むつかしいですね」と苦笑する。
「選ぶこと、選ばされること、このふたつには大きな違いがあります。自らが選ぶのか、それとも誰かや何かに強いられるのか。……けれど、強いられた――さだめられた道を、受け入れ、みずからの意志で、選びなおしたものもいます。あらかじめ決められていたことを選ぶのならば、それは、選ばされたことと同じだと思いますか? それとも、みずからその運命を見つめ、抗う道には進まず、敢えて受け入れて、たとえ苦しみに満ちた生であっても、選び続けること――それも、自由意志での選択だと、思いますか?」
「それは……、」
思い起されるのは、マークニヒトに残った記録と記憶だ。かつてここに生きた皆城総士は、生まれたときから、特殊だった。島のために生きるようさだめられ、そして実際、島のために、彼は、生きた。自分のためでも、誰かのためでもない。島が、世界が、いつか平和な未来にたどりつくことを願い、信じ、自分の存在が消えて生まれ変わることさえ受け入れた。
――こわいか、マークニヒト。僕もだ。
きっと、あの恐怖を、誰も知らない。彼が消えるそのとき、すでにクロッシングは、ほとんど、途切れていた。だから、知っているのは、その記憶をじかに感じた総士と今のマークニヒトだけなのだ。
総士は〝皆城総士〟を知らない。彼とは二度と出逢えない。話すこともできない。彼がいなくなることによって、総士は生まれた。同じ場所に、同じ時間に、存在することは不可能だ。けれど、彼が遺した声は、総士だけに向けられたものだった。
強いと、思った。このひとは強いひとだったのだ、と。
だから、おそろしかった。その強さに呑まれてしまうのがこわくて、僕は僕なのだと、知らしめたかった。他の誰でもない、今ここにいる、たったひとりの皆城総士なのだ、と。
そして、総士は、自分の意志で未来を選んだ。今ここにいる総士にしか選べない道を、選んだのだ。それなのに、選ばされたのではないかと不安になってしまうのは、なぜなのだろう。
「……運命を、受け入れることも、自由意志による選択だ。だけど、……きみの言うそれがかつての皆城総士のことなら、すこし、違うんじゃないか。あのひとは、さだめられた運命を選びなおしただけじゃない。その運命さえ、さだめられたんじゃなくて、自分の意志として――自分の望む未来のために、従えたんだ、と、思う」
「それであれば、あなたの答えも、もう、出ているのではありませんか? わたしは、未来を見ていたかもしれない。最も希望に満ちた未来に向かうため、あなたたちを誘導したのかもしれない。けれど、あなたはそれに従ったわけではない。みずから運命に抗い、かつての記憶に呑まれることもなく、たったひとりのあなたを確立した。あなたは、託された未来を叶えるためだけではなく、あなたが、この世界にあなたとして存在するために、あなたがこうでありたいと望む未来のために、みずから運命をつくりかえた」
それはそうだ、と、総士は思う。思うけれど、言葉にしても、されても、どうにも胸のもやもやは消えない。これだ、という答えが見つからない。
顔に出ていたのだろう。ルヴィが「あなたは、それでよいのではないですか?」とちいさく笑った。
「それがきっと、あなたの祝福なのでしょう」
「それ?」
「真実を求め、疑うこと――と、わたしに言われるのも違う、と、思うかもしれませんが」
総士はちょっと渋い顔をして「その言い方が、何もかも見えているみたいなんだ」と言いつつ、離れていたルヴィとの距離を縮めるようにそばに歩み寄った。
ルヴィはきょとんと首をかしげて総士を見上げる。同じ日、同じ場所で生まれたコアは、しかし総士と違って、まだちいさく幼い見た目をしている。その内側は、総士が持つよりももっと多くの情報であふれ、いまこの瞬間も、多くの感情を、記憶を、ミールと共有し続けているのだろう。ちいさなからだには大きすぎるほどの運命を、ルヴィはみずから受け入れたのだろうか。それとも、おとずれた白紙の未来のうえで、新たな運命を選びとっていくのだろうか。人もフェストゥムもミールも新たな道を選んだ以上、ミールとコアの関係も、コアがずっと抱えてきた運命も、いずれ、変わるのかもしれない。――変えようと、変えてみたいと、そう、彼女たちが望むのならば。
こうして異なるミールに属するコアであるルヴィが、この場所にいることも、きっと、その一歩なのだと思う。
総士はすこし躊躇いながら、けれど、もう、今しか言えないかもしれないと思って、口を開いた。
「……きみにも一度、言っておきたかった。その……、ありがとう」
「え……」
ぱちぱち、と、ルヴィのひとみが瞬く。ほんとうに驚いているのだろう。胸がすくような思いがした後、あんまりにもじっとそのまま見つめられるものだから、なんとなく気恥ずかしくなって、総士はこれみよがしに咳ばらいをした。
「この話はおしまいだ! ここで話したことは僕ときみの秘密だからな!」
「……ひみつ」
「ほら、行くぞ。あの、ディランとか言う人、さっきから、こそこそ覗いてるんだ」
あの人も過保護だよなと言いながら出口に向かう総士のうしろで、ルヴィはもう一度ちいさく、「わたしとあなたのひみつ」と声に出して、そして、おもしろそうに、ふふ、と、笑う。
「……初めてです、美羽以外とひみつを持つのは」
「何か言ったか?」
「いいえ。なにも」
ととと、と、総士のうしろに続く足音が、ちょっとだけ、弾んだ。
2023.06.24
夏のTBE本に入る1本です。全部できたらいずれまとめます。ルヴィと総士くんにもたくさんお話してほしい。