春が来た




 いつも春はゆううつだった。
あたたかな風が頬をなでても、花々がほころんでも、一騎のこころは冷たくなるばかりで、特に、新学期の登校初日などは、学校へ向かう足が凍りつくように動かなくなることすらあった。それでもなんとか校門をくぐれたのは、通学路の途中で声をかけてくる真矢や甲洋がいたからだ。
 緊張のピークは、体育館に貼り出されたクラス分けの紙を見るときにやってくる。わかっているのだ。ほんとうは、見なくても、わかっていた。あるときから、一騎にとって重要なのは、彼と――総士と、同じクラスになるか、ならないか、それだけだった。そして絶対に、一緒になることはありえなかった。総士の父は校長で、総士が望めばきっと一騎と同じクラスにはしないだろうし、総士がそう望むのは当然だとわかっていたからだ。小学校からずっと、あの日からずっと、ちがうクラスになることが続けば、総士の意図が介入していないと考えるほうが不自然だ。
 だからクラス分けなんて見なくても、いい。わかっているのだから。それなのに一騎は、見てしまう。見て、そして、なんとも言えないきもちに襲われる。
 ――ああ、やっぱり総士とはちがうクラスだった。よかった。
 ――よかった? うそだ。やっぱり総士に憎まれているのだと、落胆したくせに。
 ――そもそも、そうやって総士のきもちを勝手に決めつける権利が、自分にあるというのだろうか。
 総士の視界に入らなくて済むと思う自分と、総士に憎まれて疎まれていることがつらいと感じる自分。その狭間で、一騎はいつもつぶれそうだった。
 みんなの楽しそうな声。桜の花が舞う校庭。生徒たちの輪のなかで、笑っている総士。きらきらとした春のひざしのなか、亜麻色の髪がやわらかそうに風に揺れる。きれいで、まぶしくて、見ないでほしいと願い、見たくないと願いながら、それでも、一騎はその景色を視界に焼き付けていた。

        *

「総士、おはよう」
「おはよう、一騎」
 待ち合わせは、一騎の家の前だった。決めていた時間よりも先に来ていたらしい総士は、家の前から海をながめていた。となりに並んで、一騎も総士とおなじものを見る。朝の陽のひかりに海はきらきらと反射して、何艘か、漁船がぽつぽつと行き交っている。この時期、この海域では何が獲れるのだろう。季節だけはかつての日本に準拠しているこの島でも、外界とつながっている海で獲れるいきものだけは、いわゆる旬どおりにはいかないのだ。
「やはりここから見る景色はいいな」
 海を見て、帰りに活きの良い魚が買えたら今晩は刺身かな――などと考えていた一騎とはちがい、総士はただその美しさに目を惹かれていたらしい。「そうかな」と返すと、「落ち着くんだ、ここは」と総士が言った。
 灰色のひとみは未だに海を見つめたままだったが、言葉も意識も一騎に向いている。ほんとうに、愛しいものを見つめるひとみをしてそんなことを言う。以前の総士だったら絶対に口にしなかっただろう。きっとこころのなかでは、以前も――
一度、存在を失ってしまう前も、たくさん思っていたのだろう。素直に口に出すことを、状況が、使命が、なにより総士自身が自分にゆるさなかった。今はすこし、ちがう。だから一騎は、そわそわしてしまうのだ。
 ――手を、つなぎたい。
 そう、思ったけれど、これから向かうのは、学校だ。絶対に総士がゆるしてくれないだろう。それでもすこしでも触れたくて、とん、と、肩をぶつけて、懐くようにぐりぐり肩口に頬を押し付ける。「なんだ」と言いながら、くすぐったそうに笑った総士も、ちょっとだけ一騎に頬をすり寄せてくれた。
 春休みのあいだ、お互いに山ほど出された課題――夏に島へ帰ってきた総士と、休学していた一騎は、まだまだ学習面で追いついていなかった――をこなすため、ほぼ一騎の家で缶詰めになっていたから、まだふたりだけでいる空気というものから抜け切れていないのかもしれない。ところ構わずべたべたしてはいけないのだ、気を付けなければ、と、触れない程度に距離をとってふたりは歩き出した。
 昨年、秋が深まって、揃って復学をしてからというもの、一緒に学校へ行くのはあたりまえになっている。島が戦闘状態に置かれることがほぼなく、総士がアルヴィスの仕事よりも学業を優先するようになったからだ。毎日朝から放課後まで一緒にいられるというのは、一騎にとって、夢のようにぜいたくなものだった。

 新学期初日は、始業式だけがおこなわれる。まっすぐに体育館へ向かったふたりは、入り口付近の人だかりに足を止めた。
「なんだ、あれ?」
「クラスが貼り出されているんだろう」
 いつものことじゃないかという総士に、はっと、一騎は自分が、クラス替えというものを失念していたことに気づいた。それもそのはずだ。高校生になって、まともに春をむかえたのは今年が初めてだ。復学したときは、ふたりの状況を考慮して、よく見知ったパイロットたちが多いクラスに一緒に入れてもらえた。だが、今回はそうとは限らない。
 おい一騎、と、止める総士の声も聞かず、思わず一騎は掲示板の前に駆け寄った。竜宮島学園は中高一貫になったから、そこそこの生徒数になっている。その波をかきわけて、高校三年、二クラスにわけられた枠のなかで自分と、総士の名前を探す。五十音順に並べると、たいてい真壁と皆城は続いている。分かれていなければ、一緒に、すぐ、見つかるはず――。
「あっ……」
 掲示板から少し離れた場所に立ったままの総士のもとへ駆け戻り、一騎は抑えきれず大きくなった声で「あった!」と総士の手を取る。
「また一緒のクラスだ、総士!」
 何らかの配慮なのか偶然なのかは定かではないが、二年生のときとほぼ変わらず、一騎も総士も、他のパイロットたちもみな同じクラスだった。うれしい。また一年、総士と毎日一緒にいられるのだ。
「よかった、お前と一日一緒にいられるんだな」
「……一騎」
「あっ、席、どうなるかな。やっぱりくじ――」
「一騎……っ」
 総士が強めに名前を呼び、一騎はきょとんと首をかしげる。見れば、総士は頬から耳までほんのり肌を染めている。なにかを耐えるように引き結ばれた口をもごもごやったのち、「……とりあえず、手を、離せ」と言った。嬉しさのあまり総士の両手をにぎりしめ、額がくっつきそうなほど顔を近づけていたことをやっと自覚し、一騎はぱっと離れた。ちらりと周りを見てみるが、幸いにも、みな、クラス分けの掲示に気を取られていて、一騎たちのほうを見ているものはいない。
「ご、ごめん……」
「……まぁ、その、嫌なわけでは、ない、が」
 場所を考えろといつも言っているだろう、と、総士が付け加えて、ひとつ息を吐いた。そうしてしょぼくれた一騎を見て、ふふ、と、口元に手をあてて笑う。
「……なんだよ」
「いや……、思い出したんだ」
「思い出した?」
「中学三年生の新学期、お前は、同じクラスだと告げた僕に、ひどく怯えた目を向けていた」
「あ……、」
「お前がそんなふうに喜んでくれるのを、見られるようになるとはな」
 すっかり忘れていた。あんなにも、何年もずっと、春がくるたび憂い、苦しんでいたというのに――。
よみがえってきた記憶は、今も一騎をちくりと刺す。けれどもう、おそれたり、怯えたりすることは、ほとんどない。それを確かめるように――ちらりとのぞいた過去の片鱗をふり払うのではなく、なぞるために、総士の左目に手を伸ばす。総士は何も言わず、そっと瞼を伏せた。そこにあるのは、一騎に自分の身をゆだねてくれるだけの信頼だ。その信頼は、一騎が自分を傷つけない、というものではない。たとえ一騎が総士を傷つけたとしても構わない、、、、、、、、、、、、、という、残酷さも秘めている。それを一騎はもう知っていて、けれど、二度と総士を傷つけないと決めた手は、ゆっくり、かつて自分が与えた傷をなぞって離れる。
開かれた瞼からのぞいたひとみが、心地よさげに細められた。
「……なぁ、ひとつ、訊いてもいいか?」
「なんだ?」
「俺がお前とずっと別のクラスだったのって、その……お前が、そうなるように、していたのか?」
 言ってしまったあとで、いまさら訊いて何になるのだろう、と思った。もう一騎は、あのころの総士が、一騎のことを憎んでいたわけではないと知っているのに。
 総士は目をまたたかせたあと、くすりと笑った。
「僕とお前は、小学校に入ってあれまで、ずっと同じクラスだっただろう? 二分の一の確率とはいえ、偶然だと思うか?」
「いや……、ってことは、やっぱり」
「僕が、父に『一騎と同じクラスがいい』などと、言うと思うか?」
「……」
 よく考えてみれば、総士は自分の家が島の名家――今思えばあの〝設定〟は公蔵がアルヴィス司令だったからなのだろう――であるということや、父が町長であり校長であるということを、利用するような性格ではない。否、仲間や島を救うためならば利用することもあったかもしれないが、たかだかクラス替えで進言などするだろうか。幼いころを思い出せば、総士はいつも父に対してわがままひとつ、言わないようなこどもだった。門限は必ず守るし、一騎がちょっと悪戯に誘っても「言いつけがある」とのってはこない。怒られないように、迷惑をかけないように、そういうこどもだった。
 総士に疎まれているという思い込みで潰れそうだったあの当時は思い至らなかったけれど、冷静に考えれば、総士が、一騎と別のクラスがいい、と、言うだろうか?
「――あれはな、おそらく、父たちのはからいだ」
「……たち、、?」
 首をかしげる一騎に、僕とお前の父たちだ、と、総士は苦笑して肩を竦めた。
「そもそも、幼いころ、お前と僕を遊ばせるようになったのは父と真壁司令の都合だったのだろう。互いにアルヴィスの件で話をするとき、僕らを放っておくわけにもいかず、司令はよくお前を連れてうちに来ていた。二人で一緒にいれば面倒も見やすいし、何かがあっても安心だ。その流れで、学校でも同じクラスにしたのだろうな。だが、僕とお前の一件を、おとなが知らなかったと思うか? 僕は自分でやったと言い続けたが、一変したお前と僕のようすを見れば察しはつくし、僕が暴走しかけたことはデータでわかっていたはずだ。あのころのお前は……、僕を見ると異常なほど、怯えていたしな」
 見ていられなかったんだろう、と、総士は言った。公蔵が、というよりは、史彦がだろう。それ以外の、アルヴィスのおとなたちもそうかもしれない。一緒にしていれば、また何か起こるかもしれない、という警戒もあったのかもしれない。良い悪いではなく、信じる信じないの問題でもなく、そういうふうに、おとなたちは暮らしてきたから。クラスを分けたほうがいい、というのは、彼らの計らいだったのだ。そう考えれば、納得がいった。
 だが――。
「……じゃあ、三年生のときは、俺がファフナーに乗ることになるってわかっていたから、指揮官であるお前と同じクラスになった、ってことなのか?」
「ああ。そう、僕が助言した、、、、
 ――ん?
 一騎はぱちぱちと目をまたたかせる。総士はふっと口の端を上げて、「あれだけだ」と言った。
「あれだけだ。僕が、クラス替えについて父に何かを言ったのは」
 ――本当に、久しぶりに、お前と一緒になれるな。
 あのとき――あの、中学三年生の、春。戦争がはじまるほんの、数時間前。総士はどんな顔をしていただろう。久しぶりに声をかけられた驚愕と、総士に恥をかかせてはいけないという緊張、怯え、恐怖。自分の感情をコントロールすることで頭がいっぱいで、何より、総士の自分に対するおもいを知らなかった一騎には、総士が嬉しそうな声を出す意図がわからなかった。けれど、だけど、今あの残像をたぐり寄せれば、わかる。
 総士は、やわらかく微笑んでいたのだ。一騎にむかって、目を細めて、微笑んでいた。
 今の一騎が、うれしいように、きっと、あのとき総士は、うれしかったのだ。一緒のクラスになることも――抱え続けた秘密を共有できるようになることも。
「そうし」
「なんだ?」
「……そうし」
「……――だから、手をにぎるのは場所を選べと言っているだろう」
 ぎゅうう、と、総士の手を強くにぎりしめる一騎に、仕方がないな、と総士が言う。
 ずっと、ずっと、ほんとうは、どの春だってこうしたかった。
うしなわれ、過ぎた日々は戻らない。戻そうとも思わない。総士を傷つけたくなんてなかったけれど、その傷が総士を〝ひと〟として、ここへとどめ続けている。それを知っているから、なかったことにしたいなんて、思えない。だけど――だけど、ほんとうは、毎年総士とこうして喜び合いたかった。同じクラスだって、毎日いっしょにいられるって笑って、席替えひとつで喜んだり、落ち込んだりして――そういうふうに、春を迎えてみたかった。
 きっと総士もずっと、そうだったのだ。
「……一騎、始業式、はじまるぞ」
「うん」
「同じクラスならひとまず五十音順で前後に並ぶのだろう。席替えはともかく、今日は一緒だ。泣くんじゃない」
「ないてない」
「僕が泣かせたと、遠見に怒られるだろう?」
「おまえ、とおみにばっか、よわいよな」
「うるさいぞ」
 総士に差し出されたまっしろで清潔感のあるハンカチを押し当てて、おおきく息を吐いて、一騎は、総士を見た。
 困ったような、それでいてしあわせそうな微笑みが、校庭に舞う桜の花と、春の陽光のなかで、一騎に――一騎だけに、向けられている。
 ああ、春が来た。

 ――やっと、いま、一騎と総士に、春は来たのだ。