4 誕生


「変化のしようがない」

 彗に言われた言葉が、総士のなかでぐるぐると渦巻いていた。
 くつくつと煮立った鍋の火をとめて、菜箸でおたまの上の味噌を溶かし、もわもわとした靄のようにひろがっていくのを見つめながら、ずっとこんな感じだ、と総士は思う。
 零央や美三香、彗のことは好きだ。彼らは総士に大切なことを教えてくれる。それはもちろん、総士が竜宮島を見つけるという、この島の目的のためでもあるだろう。けれど、彼らは総士がどこにいても、何を選んだとしても、生きていくために必要な知恵や技術、心の在り方を教えてくれる。そう――みずから選ぶ、ということをまず、教えてくれたのだって彼らだ。
 だというのに、ときどき、彼らの言葉や在り方はその教えとずれているような気がして、総士をもやもやとさせる。
 変化のしようがない、なんて、どうしてそんな決めつけたことを言うのだろう。選択の先に状況はつくられる。選んでもいないのに、試したことさえないのに、できない、と言うのは、おかしい。
 味噌がすっかり溶けてしまったのを見届けて、総士は鍋に蓋をし、菜箸やおたまを置いて、エプロンをつけたままソファに腰をおろした。今日の夕飯は具だくさんの味噌汁と、美羽と真矢が「毎日食べたい」と言う出汁巻きと、鯖の塩焼きだ。
 真矢は会議に出てまだ帰って来ておらず、美羽もルヴィのところへ行ってくると出て行ったきりだ。遠見家でさだめられている門限までには帰ってくるだろう。あたたかいご飯を食べてほしいので、ふたりが帰って来てから味噌汁は温めなおすつもりだ。
 それまでの暇つぶしに、総士はテーブルの上に重ねてある漫画雑誌「月刊少年冒険キング」を手に取った。先日、美三香が貸してくれたもので、彼女がだいすきな「真・機動侍ゴウバイン」が掲載されている。その前のシリーズである「機動侍ゴウバイン」は少し前に全巻読み終えて、続編であるこちらも、単行本化されている部分はすでに読了した。続きが読みたいと言ったら、単行本に未収録となっている話数が掲載されている本誌を数冊、渡してくれたのである。
 ゴウバインはこの島で脈々と受け継がれてきた文化のひとつらしく、テレビでもときどき実写版ドラマを放送している。どうも再放送ではあるらしいのだが、初めて見たときに、美三香が言っているのはこれか、と、総士は腑に落ちて、面白そう、と興味が湧いたのだ。それを伝えたときの美三香はそれはもう嬉しそうで、「わっかる~! 面白いよね! 興味を持ってくれて嬉しい!」と飛び跳ね、すぐに単行本を貸してくれた。
 雑誌の最新号は総士が海神島へ来て少し後に出たものだ。本来なら次も発売されている時期らしいが、戦時下となったため暫し休刊となっている。
 ぱらり、と捲ると、巻頭カラーの見開きの表紙に、大きなタイトルとアオリ文が載っている。

〝たとえ、勝てる見込みがゼロパーセントでも、明日の朝日を信じて戦う――それが機動侍!〟


「……そうだよ、見込みがゼロでも、本当にゼロかなんて、わからないじゃないか」

 たぶん、総士が感じているもやもやは、閉塞感だ。みんな未来を求めて戦っているはずなのに、どこかで、諦めている。ここまで、、、、だ、と、自分たちの限界を決めている。それが総士は歯がゆい。その感情は、美羽やマリスに対する憤りにも似ている。

 ――美羽がみんなを守らなきゃいけないの!

 ――あなたがた古い人類は、僕たち新しい人類を犠牲にするからだ。

 ――変化のしようがない。

 ――お前をいるべき場所へ帰す。


 みんな、みんな、まるで自分ではもう選べないというように決めつける。さだめられたことを受け入れるのだという顔をして、そのさだめそのものが、本当に変えられないものなのかと疑うこともしない。
 ――僕は、そうは思わない。

 最新号のゴウバインは、迫る最終決戦に向けて、各々が希望を胸に、未来を見据えているところで、終わっていた。


        ◇


「先生のおかげで、ずっと長く生きられました。ありがとうございます」

 やわらかくてやさしいのに、なにもかも諦めたような声が、コックピットに響く。その瞬間、総士は目の前が真っ赤に染まったような気がした。

 許さない、許さない、許さない――!

 総士を突き動かしていたのは怒りだった。
 どうして、僕に生きる術を教えてくれたあなたたちが、生きることを諦めるんだ。機体だけでも戻したかった?――ふざけるな。いのちよりファフナーのほうが大事だって言うのか。ファフナーは武器だ。いのちを守るための武器だ。それなのに、いのちより優先される武器なんてあるもんか!
 武器のうしろに隠れるな、相手のいのちを見ろ、そう言ったくせに。自分のいのちに向き合えない人間が、相手のいのちなんて見られるのか。――ちがう、ちがう、そうじゃない。向き合って――それで、ああここで終わりだと、もう無理だと、そう思ったとしても、たとえ可能性がゼロパーセントだとしても、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、どうして助けてほしいと言わないんだ。呼ばないんだ。助けられるわけがないと、僕たちのことを侮るんだ。最期まで戦うというのなら、死ぬためじゃなく、生きるために戦え。生きて帰る力を身につけろと、そう教えたのは、自分たちじゃないか――!
 誰も彼もどうして自分を投げ出すんだ。犠牲になろうとするんだ。そうすれば未来が拓けると――今まで積み重ねてきた犠牲のように、自分もそのひとつになれば、一歩でも前に進めるとでも本気で思っているのか?
ちがう。ちがうちがうちがう!

 行くな、と、剣司は言わなかった。全統括ジークフリードシステムでクロッシングした先で、総士に賭ける彼の、諦めてはいない熱が、確かに感じられる。行け、助けてくれ、守ってくれ。お前ならきっとそれができる。煮えたぎった頭のなかにもちゃんと、その信頼が伝わってくる。
はやく、はやく、一秒でもはやく。

「――させるものかぁぁぁぁ……!!」

 荒業でフェンリルの起動を止めて、総士は大きく息を吐く。――間に合った。しかしその安堵も束の間、「お前が俺たちを同化しろ」と零央が言う。クロッシングでわかる。ふたりの意識が、か細くなっている。――いやだ。
いやだいやだいやだ――嫌だ!
 もう二度と、目の前で誰かを喪ってたまるものか。なんのために力を得たんだ。なんのために、僕はここにいるんだ。諦めるな。諦めたくない!



 ――変化のしようがない。







 そんなこと、まだ、誰も、決めてない――――!











 



























 ――落ちている。

 からだを裂く痛みが全身を襲った。痛い。痛い。初めて感じる類の痛みだった。これが――同化現象だ。内臓が結晶化して、己の身を引き裂く。極限に達すれば、このまま砕けていなくなる。
 だめだ。耐えろ。乗り越えろ。あいつに――真壁一騎にできたことが、僕にできないはずがない。変化できないなんて、そんなこと、誰も決めていない。だから、僕が成すのだ。諦めたほかの誰にもできないことを、僕が――。

 ――きみの名を、僕は知らない。

「……っ」

 あの声だ。やさしくあたたかく、けれど総士を鋭く刺し、かき乱す声。

 皆城総士。
 ちがう。お前はもういない、、、、、、、
 だから、お前の器だったマークニヒト、、、、、、、、、、、、、も、もういない。
 
 これは僕のもの。僕の器。僕が僕の世界をつくりだすため――新しい世界を創造するためのちから。

 だからいなくなったんだろう。だから、僕に譲ったんだろう。託したんだろう。
 お前が――お前たちができなかったことを、僕ならできるから。
 あがいて、戦ってきた過去を、僕は否定しない。犠牲を払い続け、そうして辿りついた〝今〟を、僕は否定しない。今ここにある世界は、僕のいのちは、数多の失われたいのちの先に在る。それを僕は否定しない。いなくなったものは蘇らない。戻ってはこない。だからこそ、受け継がれるものに、遺されたものに、僕は感謝するのだ。

 だから――僕は、、お前じゃない、、、、、、
 お前は、、、僕じゃない、、、、、




 ――あなたは、誰ですか?












 僕の名前は、皆城総士、、、、
 僕は選ぶ。僕の生を。
 僕が僕の意思でつかみとるものだけが、僕の、さだめ、、、だ。





世界はまだ、僕を知らない






 幼子は無垢だ。忘れる。新たな始まりだ。遊ぶ。みずから回る輪だ。最初の運動だ。聖なる「然りヤーを言うこと」だ。
 そうだヤー、わが兄弟たちよ。創造という遊びのためには、聖なる「しかりを言うこと」が必要だ。ここで精神は自分の意志を意志する。世界から見捨てられていた者が、自分の、、、世界を獲得する。

『ツァラトゥストラかく語りき』フリードリヒ・ニーチェ/佐々木中 訳(河出文庫)より