――夜明け前がいちばん暗いのだと、そう教えてくれたのはたぶん、お前だった。


 押し寄せてくる闇に逆らわないで眠りに落ちるのにはもう慣れている。
 いつも気がかりなのは、作戦が終わるその瞬間まで自分が起きていられるかどうかということであって、その他のことは最初のうち、あれやこれやと思い浮かんでいたような気がするけれど、もう、それもずいぶん遠くなってしまった。
 情報としては確かに残っている。
 眠っているあいだに父さん、ちゃんと遠見先生のところで飯食べるかな、とか、遠見はまた自分が苦しむような顔をして、それでも笑っておかえりって言ってくれるかな、とか、甲洋と来主は喧嘩しないで待っててくれるかな、とか――そんなふうに「思っていた」ことは情報として記録されている。
 ――でもそれは、記憶じゃ、ない。
 思い起こしても何らかの感情が浮かんでくるということが、どんどんなくなっていく。かつての自分のきもちはわかるのに、わからない。
 それをこわいと思うことも、だんだん、わからなくなっていくんだろうか。
 ――いなくなる恐怖と似ているのかもしれない。
 それはかつてたいせつな存在が、最期のさいごまで強かに受け入れ、一方で人くさく怯え続けたものだ。ここにいたい、そう言って縋った指先の感触をまだ、憶えている。
 お前もこんなふうだったろうか。多くのものの痛みを受け入れ、耐え、抱え込んで、憶えていようとしたお前も、こんなきもちだったろうか。
もしそうだったなら、自分はやっと彼のおもいを、この身で感じることができているのかもしれない。彼がひとりで背負っていたものをやっと、わかちあっているのかもしれない。うれしい、と、おもった。喜びというものをまだ感じられることに感謝した。

 ――なにもかも、背負いすぎだ。

 ふわりと、優しい声がする。瞳を開ければ暗闇のなかにぼんやりとひかりがある。
 ――夢だ。
 眠りにつくと、時々見る夢。
 ひかりはよく見知っている存在をぼんやりとかたちづくる。どんなにこころが別の場所へ溶けだしていっても、彼だけはいつも、一騎にかなしみと、さみしさと、よろこびを呼び起こさせる。

「そうし」

 たいせつな幼子と同じ名前。けれどちがう存在。呼び方は自然と変わる。まだ、一騎のなかには、彼をどんなふうに呼び、どんなふうにおもっていたか、ちゃんと、残っている。
「…お前に、言われたくないなぁ」
 ひとりですべてを背負い込んで、誤解をされても仲間たちを守ろうと、背を伸ばし立っていた姿を思い出して苦笑すると、ひかりの輪郭がすこし不満そうに揺らいだのがわかった。かつて、一騎と剣司に「お前が言うなよ」と言われて「テクニカルな助言をしたまでだ」とまじめくさった顔で言っていたのを思い出すと、頬が緩む。
そうだ、まだ、憶えている。
「…憶えてるよ、総士」
 ああ、と、やわらかな声が肯定する。
 何度も眠り、何度も目覚め、そのたびに何かが減っていく。削られていく。
それでも憶えていたいものがあった。忘れてはいけないものがあった。
 いつかすべて、消えてしまうときがくるのかもしれない。それでも、どうしてか――大丈夫だとおもえた。
 ころしてやる、と、泣きながら叫んだこどもの顔をおもいだす。
 ――痛いって、ちゃんと、おもったよ。
 愛しいこどもに否定的なことばを叩きつけられるその痛みを、ちゃんと自分は感じた。彼からたいせつな平和を、家族を奪ったのは自分だ。向けられて当然の怒りだと思っている。それは彼を守ってやれなかった報いだ。それを――まだ、感じられる。
 怒りでも、憎しみでも、あのこどもが行く道の標に、自分はまだ、なってやれる。

 ――かずき。

 心配そうな声に、だいじょうぶ、と、そう返す。だいじょうぶだよ、総士。
 かつて自分が、総士の「大丈夫だ」という言葉を全く信用できなかったのと同じように、今の一騎の「大丈夫」は相当にあやしいものだろう。自覚はある。それでもまだ口にできる程度には「大丈夫」なのだ。耐えられる。だってその先に、あの愛し子が、まだ誰も見たことのない未来を拓く可能性がある。
それが、今まで数多のいのちを譲ってきてくれたものたちにとって、どんな意味をもつかは誰にもわからない。過去のものにとって正しい未来ではなく、あの子にとって、あの子が望む未来がそこにあってほしいとおもう。
 平和をつくることができない自分たちにとって、あの子の選ぶものこそが、どんなかたちであっても、――希望だ。
 いずれ見るその未来に、自分が「感情」を抱けなくなっていたとしても、一騎のうちにある総士や、翔子や衛やカノン――多くのものたちの意志は確かに存在しつづけ、一騎を導いてくれる。あの子を導いてくれる。そう信じられた。


 つぎに目覚めるとき、それはきっとまた、戦うときなのだろう。
 最も暗い夜明け前。
 この眠りの闇は、あの暗さに似ている。
 だからその眠りから覚める瞬間、海のかなた、水平線を太陽のひかりが縁取りはじめ、空がわずかに紫を帯び、闇が薄く溶けてゆくあの色を――かつて見つめ続け、気高くうつくしいとおもった色を、再びあたらしくまみえた瞬間、あふれた愛しさに泣き出しそうになったあの、「総士」の瞳と同じ色を――この目にうつすとき、その先にあるのが戦場であっても、前を向ける。
 最も暗い闇のその先に、夜明けがある。
 
 憶えていよう。
 信じていよう。
 歩いていこう。


 あのとき約束したように、お前の意志を、お前が忘れず抱いた痛みを、ともなって。

夜明けをかぞえて