第四章

 一騎の朝は、いつも早い。
 家でかけている目覚ましがなくても、午前五時半にはきっかりと目が覚めた。
 総士のどことなく幼い寝顔に心臓がぎゅっとして、握られた手を離したくないなと思った。けれど、総士が起きるまでにおいしい朝食を用意しておきたい。惜しいと思うきもちを振り切って、ぬるくなったタオルを彼の額からとってダイニングに出る。キッチンで濡らしたタオルを総士に乗せなおしてから、さて、どんな朝食にしようかと考えながら冷蔵庫を開けた。昨日開けたときには本当に空っぽだったそこに、今はいくらかの野菜と肉と牛乳がある。総士は、自炊しないことはない、と、以前言っていたから、公演で家を空ける前には冷蔵庫を整理するようにしているだけなのだろう。さすがに米すらないとは思っていなかったけれど。
 そうだ、まずは米を炊かなければならない。ゆうべは土鍋でそのまま炊いたから、改めて炊かなければ残りもない。
 炊飯器はわかりやすいところにあったので、米を洗ってセットした。真新しくて、機能も最新のものだ、と、ちょっと目が輝く。そういえば総士は春に越してきたばかりだと言っていたから、買ったのもその時なのだろう。
 マンションそのものも新しいらしく、キッチンは使いやすくてきれいだ。ぴかぴかの調理器具で料理をするのはいつもと違って新鮮だった。
 米が炊ける時間に合わせて、出汁巻きと味噌汁を作る。味噌汁には野菜をたっぷり入れて、余っていた鶏肉も入れた。具材が多いほうが、いろんな出汁が出ておいしい。真壁家の味噌汁は昔から、余ったものを何でも入れる味噌汁だった。これくらいで足りるかなと思ったけれど、時間が余っていたので、ついでに大根と人参を細く切って酢と胡麻で和える。総士は楽園で定食を食べるとき、添えてある小鉢の酢の物やおひたしも完食しているから、嫌いではないはずだ。
 そこまで作って、味噌汁とご飯以外を食卓に並べ、元からキッチンの棚に入っていた緑茶を急須に入れたところで、かたん、と、音がした。
「…………」
 ぼさっと髪を乱して、まだ夢うつつを彷徨っているような顔で、寝室のドアを開けたまま総士が突っ立っている。灰色の瞳がぼんやりとダイニングのテーブルをとらえ、それから一騎を見て、じわじわと、見開かれていく。
「……、――……、っ、か、か、か」
「か?」
 一騎、と言いたいのはわかっていたが、敢えて首を傾げる。総士はそのまましばらく固まって、かずき……と、消えてしまいそうな声でつぶやき、耳まで真っ赤になった。ちょっと意外な反応だ。
「ぼ……、僕は……」
 へなへなと力が抜けたようにその場に座り込んでしまった総士に、慌てて一騎は駆け寄った。もしや、まだ体調が悪いのだろうか。大丈夫かと背中をさすっていると、ちがう、だいじょうぶだ、そうじゃない、と総士が力なく首を振る。
「僕はなんてところを……お前に……」
 ああ、そういうことか、と、一騎は合点がいった。羞恥で真っ赤になって震えているのは新鮮で、かわいいなぁ、と、すなおに思いながら、小さく笑う。
「嫌だなって、後悔したのか?」
「……そんな、ことは、ない……」
 一騎の言葉におずおずと顔を上げた総士は、ゆっくりふたつみっつ瞬きをしてから、すこし不安げな表情になった。
「お前にとっては……、迷惑だったのではないだろうか」
 身の上話をされて、挙句泣きだして……、と、ぼそぼそ付け足す総士に、一騎はすぐに「全然」と言い切って首を横に振った。自分が逆の立場であったら、総士のように恥ずかしくなったり不安になったりするだろうから、どう言えばうまく伝わるのかなと考える。
「俺は、総士のことが知りたかったし、総士が苦しんでいるなら放っておけない。それに、俺だったから、お前は話をしてくれたんじゃないのか? それなら、すごくうれしい」
「……僕はただの、お前の店の客なのに?」
「他のお客さんにこんなこと思わないよ」
 お前だからだよと言えば、総士がせわしなく目を瞬かせる。何かおかしなことを言っただろうかと一騎が首をかしげると、総士はぶつぶつと何かつぶやいたあとで、ちらりと一騎の目を見た。
「ん?」
「……まぁ……、僕も、お前をただの行きつけの店の店主と言うのは……おかしい気がしているんだが……」
「そうなのか? でも、俺にとってお前は大事なお客さんだし……」
 一騎が言うやいなや、総士は不可解なことを言われたと言いたげに、眉間に皺を寄せる。
「……待て、先ほどのお前の発言は、そういう意味ではなかったのか」
「そういう意味ってどういう意味だ?」
「そ……」
 それは、と、総士は言いよどんだ後、「……他の客とはちがうというのは、何らかの、その、特別……という……ことではないのか……」とちいさな、消えてしまいそうな声で言う。
 特別。
 ほかのものとはちがうこと。
 一騎にとって総士はだいじなお客さんだ。それは変わらない。けれど、他の客と総士が同じかと言われると、それはちがう。みんな一騎にとってはだいじなひとたちだ。けれど総士と彼らは、決定的になにかがちがう。客としてちがう――ではなくて、そうだ、総士を「客」とはちがう意味で、特別なひとだと思っているのだ。
 朝方答えを得た感情に名前がついたような気がして、一騎はぱぁ、と顔を輝かせた。
「それだ」
「……は?」
「総士のことを知りたかったし、話してくれるのも、泣いてくれたのもうれしかったし、手を握って離さずに寝たのがかわいくて、抱きしめたくなったし……厨房からいつも総士をながめるのが楽しかったのも、おいしいって顔をしてくれるとぎゅっとなるのも、たぶん〝特別〟だからなんだな」
「………………」
 そうだそうだと納得した一騎をよそに、総士は耳まで真っ赤にしてぼうぜんと一騎を見ている。なにか恥ずかしくなるようなことを言っただろうか、と、首をかしげると、総士がか細い声を出した。
「な……、手……、手を……?」
「? 寝てるあいだずっと握ってたぞ。ぬくかったのかな」
 あぁぁ、と総士が唸って膝に顔を埋めてしまった。寝癖で跳ねている長い髪の毛を撫でつけてやりながら、そういえば、総士はこういうふうに一騎が触れても振り払ったり嫌がったりしないのだな、と、改めて思った。一騎自身、こんなに近い距離で人に触れることなど今までなかったというのに、総士にはつい手が伸びてしまう。
 いつも総士を見ながら、きれいな髪だな、やわらかそうだな、と思っていたけれど、寝ぐせでぼさぼさになっていても触り心地がよくて離しづらい。撫でられるままに、のっそり顔を上げた総士は、目元を赤く染めたまま何かを言いたげに口を開いては閉じて、一騎を見る。
「……どうしてお前は、そうやって僕に触るんだ?」
「触りたくなったから……だけど、昨日お前が言ったみたいに、こども扱いしているわけじゃないぞ」
「……では……どうして、僕は、お前に触られるのが……、嫌ではないんだろうか?」
「え」
 総士が、ほんとうに、困ったような顔をしていた。昨日のように、心許ない、不安げな顔ではなくて、ただただ、困惑している、というような表情だった。
「それは……、お前も、俺のことを、特別に、思ってくれているからじゃ……ないのか……?」
 口にしたあとで、一騎は自分の頬に熱が上がってくるのを感じる。総士に対して特別だと言ったときには平気だったのに、総士から同じおもいが向けられているのではないかと思うと心臓がうるさくなる。もしかして自分は、ものすごくだいじで、照れくさいことを、なんでもないように、総士に告げてしまったのではないだろうか。
 ――けれど、それを総士は嫌がっていない、ということなのだろうか。
「……そ、総士、ほんとに、俺が触るのとか……その、心配したり、ごはん作ったりとか、お前のそばにいようとするの……そういうの……嫌じゃ、ないのか……?」
 距離感を誤っていないのか。差し出がましいことではないのか。不安と期待が入り混じり、ちいさな声になった一騎の問いに、総士は視線を床に落としながらかすかな声で答えた。
「…………嫌では、ない……」
 その言葉を待っていたかのように、ふたりの背後で、ピーッと炊飯器が声を上げた。


 腹が減っては戦はできぬ。
 炊飯器の音にまぎれて総士の腹がぐう、と豪快な音を立ててしまったので、お互いの感情と言葉の確認作業はひとまず置いておいて、ふたりはぎこちなくダイニングテーブルについた。
 ほかほかに炊けたごはんをよそって、あたため直した味噌汁をお椀いっぱいにつぐ。総士の前に置くと、すこし強張っていた総士の表情が、ほわ、と、ゆるんだ。
「こんな朝食は……久しぶりだ……」
「もしかして、いつも朝食は抜いてるのか?」
「まぁ……食べるときもあるが、だいたいパンをつまむくらいで……」
 いただきます、と、ていねいに手を合わせて総士が箸を取る。前から思っていたが、仕草がきれいだ。味噌汁をすすった総士がほう、と息を吐いてほほえむ顔が一騎の店で珈琲を飲むときと同じで、ふふ、と笑ってしまう。
「うまいか?」
「おいしい……」
「よかった」
 総士がおいしいと言ってくれると、心がふわふわとする。一騎も席について手を合わせた。しばらく無言で互いに箸を動かす。仕草はきれいだけれども、総士は店と同じようにぱくぱくと良い食べっぷりだ。
 食べ終えた食器を総士が洗うと言うので、一騎はその横に並んで立って、洗われた食器を拭くことにした。
「……一騎は、昔から料理が得意だったのか?」
「……俺のこと、訊いてくれるのか」
「おあいこだろう。僕だって、お前のことをよく知っているわけじゃない。それに、僕だけがすべて話すのは不公平だと思わないか」
 もういいんじゃないかと思うくらいお椀を入念にすすいでいる総士の横顔はすこしだけ赤くて不満そうだ。一騎はふにゃりとほほえんで、「長くなるから、これ洗い終わったら珈琲淹れるよ」と、店から持ってきた珈琲豆を指さした。


 一騎が珈琲を淹れるようになったのは、店を前オーナーから引き継ぐ少し前だ。それまで一度も珈琲など飲んだことすらなかった。食事をつくることには自信があったけれど、珈琲には自信なんてひとつもなくて、常連たちに満足してもらえるまで、随分試行錯誤をくりかえしたものだ。
 珈琲が好きな総士が家にある程度の道具をそろえていることは知っていたので、持ってきた豆を挽いて、ネルドリップで濃い目に抽出する。総士は酸味より苦みが深いほうがすきなのだ。
 総士は一騎がゆっくりと抽出するのを研究でもするように、じっとながめている。
「――料理は、昔からやってたよ。うち、父さんは米も炊けないし、母さんは忙しくて帰りが遅かったから、自然と俺が作るようになったんだ。やってくれって頼まれたわけじゃなかったけど、おいしいものがすきだから、どうせなら自分で作ろうって発想だったんだろうな」
 珈琲をふたつのマグカップにそそいで、先にソファに腰かけた総士にひとつ手渡した。くん、と無意識ににおいをかいだ総士が、満足げに目を細める。
「一か月ぶりだ……」
「そんなに恋しかった?」
「夢に見るくらいにはな」
 寝起きとちがって髪を整えて顔も洗っていつものような状態になった総士は、調子を取り戻してきたらしく、冗談めかして言ってくすりと笑った。その隣に一騎も腰をおろす。
「それで、家の料理を作っているうちに、仕事でもしたいと、そう思ったのか?」
「うーん……べつに、そうは思ってなかったんだけどさ。……高校生のころ、遠見の知り合いから声がかかって、ちょっとだけ歌の仕事をしていたんだけど――」
「……歌がうまいと思ったら、お前、そういうことをしていたのか……」
 総士の前で歌った覚えはないと言えば、朝方聴こえてきたのだ、と言われて、納得する。気分が乗ったときに料理しながら歌ってしまうことは、儘あるのだ。
「遠見経由ということは、クラシック関係だったのか? だがお前はクラシックにはまったく――」
「いや、なんていうか……アイドル?」
 総士が目をまんまるく開いて、ぽかりと口を開けた。一騎の過去を知らない人間からはだいたいそういう反応が返ってくるので、予想の範囲内だ。
「……歌って踊る、あれをか?」
「歌って踊るあれだな」


 一騎をスカウトしたのは、真矢の母が経営する病院――遠見医院を贔屓にしている芸能事務所の社長だった。
 当時の一騎は真矢と同じ高校に通っていて、ときどき一緒に帰ることがあった。何がどう目に留まったのか未だに一騎はわからないのだが、たまたま目にした一騎の姿に何か感じるところがあったらしく、遠見家の母――千鶴に一騎のことを聞いて、自宅まで話にやってきたのだ。
 父も母も、なんでも一騎の好きなようにすればいい、という人であったから、選択は一騎に委ねられてしまった。当時の一騎には特にやりたいこともなかったし、将来の展望もなかった。熱心に、少しだけレッスンを体験してみないかと言われて、流されるまま頷いてしまったのが始まりだ。
 一騎が興味を持てなければ、無理には誘わないと言われていた。けれど、初めて彼らの前で歌を歌ったとき、あきらかに、社長やスタッフたちの目の色が変わった。
「君は、歌で食べていける」
 それまで全く歌ったことはなかった。音楽の授業だってあまり好きではなかったし、そもそも目立つことが苦手だったから、大きな声を出すこともなかった。だが、一騎は「売れる良い声」をしていて、きちんとレッスンをすれば必ずプロになれると言われたのだ。
 それはさすがに、むつかしいのではないか。この人たちは何かを勘違いしているのではないか。
 そう思ったけれど、一騎が強い否定もしないでいるうちに話はすすんで、いつの間にやらデビューは決まっていた。
 今思えば、一騎自身、歌うことも、踊ることも、嫌いではなかったのだ。からだを動かすことはもともと好きだったから、レッスンは苦ではなかった。目立つのは嫌だったけれど、自分が歌うことで、笑顔になってくれる人がいるのも、うれしかった。話すことだけはどうしても不得意であったけれど、それも一騎の「キャラ」として受け入れられて、爆発的ではないにしても、ヒットチャートにたびたび名を連ねるくらいに一騎は売れた。
 ――けれど。

「高校三年の終わりぐらいに、突然、声が出なくなったんだ」
「……病気か?」
「ああ。喉に腫瘍ができてたんだ。取らないといけないって言われた。声が残るかどうかはわからないって言われたし、たとえ残ったとしても、今までみたいに歌うのは無理だって」
 そうして、たった三年に満たない、一騎のアイドルとしての生活は終わった。手術はうまくいって、声は残った。けれど、大きな声を常に出すようなことは禁じられた。
「自分から望んで歌いたいって言ったわけじゃなかったのに、いざ、もう歌えないって言われたら、もう、俺にはなにも残っていなんじゃないか、って思えて苦しくなった。……だけど俺よりも父さんとか母さんとか、遠見とか、みんながつらそうだったから、俺は笑ってなきゃいけないって思ってたんだ」
「それが、昨日、言っていた話だったんだな」
「うん」
 ――どうして泣かないの。
 笑顔を浮かべる一騎の前で、今にも泣きそうな顔で真矢は言った。
 ――一騎くんが、いちばん、泣きそうな顔してるのに、どうして、泣かないの。
 ひとに流されるまま歌うようになった。そしてその歌を失った。それだけだ。それだけなのに、どうしてこんなに悲しいのだろう。悲しんでいいんだろうか。みんながつらそうなのに、自分に、泣くような権利が、あるんだろうか。
 そう思っていた一騎のこころを真矢の言葉がやさしく撫でていって、一騎は、こどもみたいに泣いていた。リハビリがまだ始まったばかりで、あまり出ない、掠れた声で、それでもわんわんと泣いていた。真矢も一緒になって泣くものだから、しばらくしてやってきた母に、ふたりして抱きしめられて、幼いこどものように慰められた。
 そのとき初めて、一騎は、歌を失ったことが「かなしい」と思えた。歌がすきだったのだと思い知った。もう歌えないことが、つらくてたまらなかった。
「しばらくして、前みたいに一応、声は出るようになった。だけどもう、仕事としての歌は歌えない。じゃあ今度は、何をしよう。何をしたらいいんだろうって途方に暮れた」
 そもそも将来のことなどあまり考えていなかったのだ。与えられた場所が不意になくなって、一騎は悩んだ。悩んで、考えて、出した答えが、料理をすること、だったのだ。
「俺がいちばん得意で、当たり前にできることって、料理だなと思ったんだ。だから調理師免許を取って、父さんの知り合いだった楽園のオーナーが店を誰かに譲りたいって言っているのを聞いて、手を挙げた。それが五年くらい前かな。最初はオーナーにも手伝ってもらっていたけど、そのうちひとりで、任されるようになったんだ」
 そこまで言って総士を見ると、灰色の瞳が不安そうに一騎を見ていた。
「その……喉は、もう、大丈夫なのか? 謝罪しなければならないのだが、昨日、待合室で医者とお前が話しているのがすこし、聞こえてしまって……」
「べつに、隠してたわけじゃないから、大丈夫だよ。喉はもうなんともないけど、再発する可能性がないわけじゃないって、定期的に検査してるんだ。剣司は俺と遠見とおさななじみで、いつも気にしてくれてるんだよ」
「そうか……」
 答えを聞いてもまだ表情の晴れない総士に、「もしかして心配してくれてるのか?」と首を傾げると、「当たり前だ」と即答される。しかし総士は、いや、と、なにかを言いよどむように、手のなかに包んだままのマグカップへ視線を落とした。
「当たり前だ、と、言うのは差し出がましいと……思っている。しかし、お前にもし何かあったらと考えたら、おそろしくなった。いわゆる、近しい他者に対して、こういった不安を抱くのはごく一般的なことだとは思う。だが、それだけではなく、僕はお前がこうして自分のことを話してくれたことが、とても、うれしくて……。今の話は、誰彼かまわず、するものではないだろう。苦しんだときの話は……比較すべきではないが、僕の話と同じように、口にするのには、相応の心構えが必要だと思う。それを、お前は、僕にしてくれた。店主と客の間柄では、あまり適切ではないのかもしれないが、僕は、その――」
 つらつらとむつかしい丁寧な言葉で話し続ける総士が何を言わんとしているのか、さすがに一騎にもわかった。マグカップを包む総士の手には異様に力がこもっている。一騎は総士を驚かせないように、その手の上に手を重ねた。
「じゃあ、もうやめよう、それ」
「それ――」
「店主と客、っていうの。いや……それも、変わらないことで、総士のことだいじなお客さんだって思っているのもほんとうだけど、それだけにこだわらなくても、いいんじゃないか?」
「……プライベートな関係性に移行するということでいいのか」
 あまりにも堅苦しい言い様に、ふは、と、一騎はふきだしてしまった。
 間違ってはいないけれど、そんなふうに表現されるとは思っていなかった。けれど、じゃあどんな関係性なのかと言われると、一騎自身、うまい言葉が見つからない。「なにがおかしい」と顔を赤くしながら不満そうに言う総士がかわいい。かわいい――なんて、今まで、誰に対しても思ったことがなかったし、道端で見つける猫にかわいいなと思うきもちとも、ちがう。
 総士の笑顔が見たい。頼ってほしい。触れたい。甘やかしたい。誰も知らない総士が知りたい。堰を切ったようにあふれてくるのはそんなことばかりで、自分でも収拾がつけられない。それを「特別」と名付けてしまってもいいけれど、いずれ、それだけでは足りなくなる気もする。
「笑ってごめんな、それで、あってるよ」
「……まだ顔が笑っているぞ」
「うれしいから笑ってるんだ」
 どうだか、と、総士が拗ねたような顔をして、手の中で冷めかかっている珈琲を啜った。その横顔もやっぱりかわいくて、一騎はおもむろに、総士の手からマグカップをうばってテーブルに置く。
「なん……」
「なぁ、抱きしめていいか」
「は……」
 目をまるく見開いた総士は、はくはくと口を開いては閉じてをくりかえし、辛抱強く待っている一騎に、「犬みたいだな……」とぽつりと零す。確かに、「待て」をしている犬とあまり変わらないかもしれない。総士が「よし」と言えば、たぶん自分は際限なくじゃれついてしまう。昨夜も、今朝も、腕の中で感じた総士の重みとぬくもりがもう恋しい。
 総士は一騎を一度見て、それから視線をそらし、ぽつりと応えた。
「……お前に触られるのは、嫌じゃないと、言っただろう」

 ――総士の「嫌じゃない」は、「よい」と「好き」と同義だ。

 そう理解した一騎は、かちこちに固まっている細身のからだを、おもいっきり抱きしめた。