花はこたえを知らず
うすく、あわい、桃色のはなびらが、はらひらと落ちてくる。海上近くでは感じるすこし強い海風も、山の上まではほとんど届かない。春を感じさせるやわらかな風と陽ざしがふりそそぎ、ときどき、枝の揺れるさざめきと、鳥の声が聴こえる。海を挟んで、遠くに、いつも自分たちの暮らしている竜宮島の稜線が見えた。
「ここはさすがに、思いつかなかったなぁ」
まどろみに浸りかけていた総士の耳に、すぐ真上から、感心したような声がふってきた。少々硬いが、寝心地は悪くない膝枕を総士にみずから提供したがった男が、片手で自分のつくったミートボールをつまんでいる。たれが落ちてきたら悲惨なことになるだろう、と、文句を言おうかと思ったが、器用な一騎のことだ、そのあたりは大丈夫だろう。
「……かずき」
「ん?」
「僕のも」
「はは、おまえ、今日はなまけものだな」
いつもだったら絶対行儀が悪いとかなんとか言うくせに、と、笑いながらも、一騎は自分が咀嚼しているものと同じ、ピックに刺さったミートボールを総士のくちもとへ運んでくれた。ピンク色のうさぎがちょこんと乗ったピックからミートボールを引き抜くようにぱくりとくわえると、役目を終えたうさぎは一騎に回収されていった。甘めのたれが絡まったミートボールは冷めても美味しい。
花見をしようと言い出したのは一騎で、場所取りをしたのは総士だった。
昨年は仲間たちで盛大に宴を催したのだが、今年は卒業式に合わせた懇親会で存分に楽しんでしまった後だったり、それぞれに新しい生活に向けた準備で忙しかったりで、時間を合わせることができなかった。それならば二人で花見をしたい、と、一騎が言ったのである。
高等部を卒業し、総士はアルヴィスで研究員として、一騎は喫茶楽園の調理師として、働くことになっている。アルバイトの時と変わらずシフトで勤務する一騎は、三月の後半からすでに新しい日々をはじめているが、総士はまだ初めての勤務日まで数日の猶予があった。幼いころからアルヴィスに出入りし、こどもながらにおとなに混じって働いていた総士にとって、初出勤、などというものは、かたちばかりである。しかし、許可を得ずともひとりでできることも増えるし、学生だからと制限を設けられていた勤務時間とて自由になる。そう思えば確かに新しい日々のはじまりには変わりないのだ。
その、総士の数日のモラトリアムにあわせて、一騎が休みを取り、今日と明日はふたりで過ごすことにしていた。
花見をする場所は竜宮島の本島のなかにも多くある。山にも公園にも、入り組んだ家々のあいだを通る道の脇にも、桜はあちこちに植えられている。だがみな考えることは同じなので、どこに行っても人の影がある。ゆえに、総士はここ、ふだんはあまり立ち入ることはない、剛瑠島の山の上を提案したのだった。
剛瑠島には航空機関連の格納庫と滑走路が備わっていて、ふだんは戦闘部隊の者かエンジニアしか出入りしない。向島とはちがい、バーンツヴェックに乗らなければ来られないため、たかだか花見のためだけに出入りする島民はまずいないし、セキュリティ上、入島できる人間は制限されているのだ。幸いにも、ファフナーのパイロットである一騎にも、
バーンツヴェックに乗る際に出くわした溝口は、お重の入ったふろしきとビニールシートを抱えた姿に「休み取って何をするのかと思えば」とおかしそうに笑っていたけれども、咎めはしなかったし、お重に詰め込むときに余ったおかずが入ったタッパーを口封じの代わりに渡すと「酒のつまみにするぜ」と喜んでいた。
剛瑠島の陸地はほとんどが滑走路に占められているが、三分の一ほどは山になっている。こどもたちが世界の真実を知った今はもう必要ないことだが、本島から眺めたときに、滑走路が見えないよう、隠す役目を担っていたのだ。
地下から山のふもとへ繋がるゲートをくぐると、人が通れるだけの道が山の上に続いている。木々の合間、あちこちに設置された迎撃システムのメンテナンスのために通されたのだろうそれを山頂まで登ると、ぽつぽつ桜が植えられた、開けた場所に出るのだった。
「誰が造ったんだろうなぁ」
遮るものがないので眺めはよく、静かで、切り開かれた土地をくるりと囲むように桜が植えられたそこは、まさに穴場だった。静かで穏やかな場所を好む一騎は気に入ったらしく、「なまけもの」の総士に負けず劣らずふにゃふにゃとからだから力を抜いて、無防備な顔をさらしている。見上げた先にあるその顔が幼くてかわいかったので、手を伸ばして頬から顎にむかって撫でてやると、ねこのようにすりよってきた。ねこだったら喉を鳴らしているのだろう。
「さあな。足場があまりよくないから今回は除外したが、慶樹島にもこういった場所はある。本島でもそうだが、必要か不必要かという基準ではなく、どうせ山を造るなら桜を植えようと思いついただけなのだろう」
戦いに必要なもの、生き残るために必要なものは、何も、ミサイルやファフナーだけではない。平和という文化を保存する。おとながときどき口にするそれは、直接的に生命の維持に必要がなくとも、こどもたちを育むためには必要なものだったのだ。木々や花々はそのひとつだろうし、かつての日本に多くあったという桜を植えたのは、それを愛でる時間すら幼いころから与えられなかったおとなたちの、夢のかけらなのかもしれなかった。
「お前は何で、ここを知っていたんだ?」
いくら総士がこどものころからアルヴィスのあちこちへ出入りできたといっても、エンジニアでも戦闘員でもないのだから、剛瑠島にはそうそう用事はなかっただろう。まして、こんな、迎撃システムのメンテナンスでもしない限り、出入りすることもなさそうな場所に。そう、暗に含まれた言葉に、総士は一騎を撫でていた手をおろして、身を起こした。膝からぬくもりがなくなった一騎はすこし不満そうだったが、なだめるようにほほえんで、持って来た荷物を探る。一騎と合流する前に寄った御門やで手に入れた小さな白い箱を見つけ、取り出す。
「ここは、僕が見つけたわけではない。蔵前が見つけたんだ」
――なんで、ここにいるの、皆城くん。
あの日も、こんな、春のひざしのあたたかな日だった。
中学校の入学式の数日前だった。いつものようにアルヴィス内を歩いていた総士は、果林がひとりで剛瑠島方面のバーンツヴェック乗り場へ向かっているのを見かけた。搭乗および入島の権限は当時から付与されていたが、少なくとも、果林が剛瑠島に用があるとは思えなかった。放っておこう、と、通り過ぎかけた総士はしかし、気づけば引き返し、果林の後を追うようにバーンツヴェックに乗っていた。
――こういうのは、良くないのではないだろうか。気になると言って、後をつけるようなことをするのは。いや、しかし、本来ならば用のない場所へなぜ出入りしているのか、何かを隠しているのだったら――。
今思えば、本当に、ただ〝気になった〟だけなのに、あのころの総士はまるで自分が監視役にでもなったような言い訳をこころのなかで連ねていた。当時、十五歳になる前に真実を知らされていたのは総士と果林だけであり、秘密を共有できる戦友であるとともに、その秘密を誰にも漏らさないことを、互いに監視しているようなところが少なからずあったのは、事実だった。
果林から少し遅れて剛瑠島へ到着し、彼女を探したところ、山側のゲートを出て行く姿を見つけた。
――あんなところ、あったのか。
そもそも剛瑠島へほとんど出入りしなかった総士は、滑走路へ出る以外のゲートを初めて見た。そんなところを出て行く果林に、ますます、なぜ、どうして、なにをするのか、という疑問は募った。
ゲートから続く道は山頂へ向かっていて、果林の姿はすでに見えなかったが、一本道だろう、と、総士はその道を進んだ。勾配は意外にきつく、山頂に着くころにはすこし息が切れていた。しかし、そこに果林の姿はない。どこに――。
「なんで、ここにいるの、皆城くん」
声は後ろから聞こえた。驚いて振り返ると、顔をしかめた果林が立っている。失敗した。果林はおそらく総士の追跡に気づいて、木陰に潜んでいたのだろう。
――いや、僕はべつに、隠れて後をつけたかったわけでは、なくて……。
そう言ったところで、黙って後を追ったのは事実なのだから、果林からしてみれば気分が良いわけがない。総士は気まずく思いながら、「すまない」と謝った。
「剛瑠島に向かう君を見つけて……、その、気になったんだ」
「だったら声をかければいいでしょう? こそこそ後をついてくるなんて、気分が悪いわ」
「……悪かった」
総士の謝罪に、果林はふっと肩の力をぬいて、「まぁ、もういいわ」と苦笑した。
「――ここね、ちょっと前に見つけたのよ。そろそろ満開かしらって思ったから、来てみたの」
「満開……?」
ふと顔を上げると、そこには、あわい色のはなびらが舞っていた。あたたかなひざしに照らされて立ち並んでいるのは、桜の木だ。
「こんな、ところに……」
「やっぱり、そう思うわよね。こんな、きっと誰も来ないところに植えてあるなんて、ふつう思わないじゃない?」
「ああ……」
そう広くはない平場を取り囲む桜の木は満開をむかえ、本数としては多くないだろうに、視界いっぱいに広がるそれに圧倒される。素直に、「きれいだな」と感嘆がこぼれた。
「ほんとうは、独り占めするつもりだったんだけど」
「それは……すまない」
「もういいわ。何回も謝らないで。他の誰かに知られるのはいやだけど、あなたなら構わないの」
皆城くんに隠すべきことなんてないもの、と、そう果林がちいさく言う。その横顔を見れば、ひとみは遠く、海の向こうの竜宮島を見ていた。
――うそだ。果林がなにも総士に隠していない、なんてことはない。そう思う。
互いに、秘めたおもいは多くあった。島に対して、父に対して、自分に対して。けれど彼女の言葉の真意を察し、総士は「そうか」と応えた。彼女の言う隠すべきこととは、他のこどもたちがまだ知らない秘密――真実のことだと、わかったからだ。
何も知らないこどもたちも、真実を隠すおとなたちも、父の目すらも、ここにはない。同じ立場のふたりだけ――役目を担うために真実を知らされた、ふたりだけ。何を言っても、おもっても、誰に伝わることもない。そういう場所を、果林は探していたのかもしれない。そうしてきっと、ここを見つけたのだろう。
自分たちに埋め込まれたマイクロチップは、ふたりがどう移動したかを時刻すら詳細に記し、システムに刻み続けている。それでも、そうだとしても、ここにいることを咎めるものは、今、ここには、いなかった。
すとんと、果林はその場に腰をおろした。総士もすこし距離を置いて座り込む。
おだやかな風が吹いて、鳥の声と、木々のさざめきしか聴こえない。波の音も、今は遠い。果林のふわふわとした髪が風に揺らされ、そのうえにちいさな花びらがからむのを見やり、ああ、と、総士は口を開いた。
「――おめでとう、蔵前」
「……え?」
「誕生日だろう、今日」
「――……」
ぽかん、と、果林は口を開けていた。何かおかしなことを言っただろうかと総士が目をまたたかせると、「あなた……」と何か言いたげに果林が口を開き、閉じて、はあ、と、呆れたようなため息をつく。
「どうしていつも、唐突なの?」
「……そうか?」
ふと思い出したから言っただけだ。忘れていたわけではなく、家の冷蔵庫には、数時間前に買った御門やのケーキが入っている。去年も、一昨年もそうだった。食事は雇っているお手伝いさんが作ってくれるが、誕生日のデザートまで頼むことはしていないし、公蔵は、そういったことに気をまわすような性格ではない。いつも総士がケーキを買い、冷蔵庫におさめ、夕飯が終わって果林が自宅へ帰るのをひきとめ、「そういえば誕生日だろう」と出すのが定番だった。そのたびに果林はなんとも言えない顔をしてはいたけれど、ありがとうと言って、ケーキを食べていた。
今回はイレギュラーにはなったが、なんとなく、果林が今日ここへ来たのはそういったタイミングもあったのかもしれない、と、思ったのだ。
果林は不満そうな顔をしたあと、すこしだけ困ったように笑い、いつものように「ありがとう」と言った。それを見ると、総士もすこしだけ、頬がゆるんだ。
その次の年も、同じように果林は桜を見に行き、総士はそのあとを追った。そして三年目、中学三年生の四月――十五歳の誕生日。ファフナーに乗り、多くの者を助けられなかった痛みを抱えて、あの赤いひとみで桜を見つめながら、果林はやっぱり困ったように「ありがとう」と笑った。
それが、最期だった。
*
総士が取り出した御門やの白い箱のなかには、いちごのショートケーキがふたつおさまっていた。
「訊かなかったんだ、最期まで。本当は、誕生日に何がほしかったのか、何のケーキが好きなのか、それすらも。ろうそくだってなかった。それを蔵前がどう思っていたのかも、僕は知らない」
総士自身が、誕生日というものを祝われた経験があまりなかったから、どうすればいいのかわからなかったのだ。幼いころ、たまたま誕生日に一騎の家にあずけられたとき出されたのが、御門やのショートケーキだった。その記憶だけを頼りにしていたから、果林にも、一つ覚えで同じものをプレゼントしていた。それに果林が「ありがとう」と言ってくれるものだから、それ以上のことを総士はしなかったし、訊ねなかった。
「もっと話せばよかったと、今になって思うことがある。彼女の好きなものを、僕はなにひとつ知らない」
「……蔵前の、誕生日って」
「四月二日。今日だ」
なつかしむようにほほえんで、総士は取り出したケーキをひとつずつ、紙皿のうえに置く。フォークを添えて、ひとつ、一騎のほうへ差し出した。
「僕の自己満足に過ぎないが、よければ一緒に祝ってくれ」
花見をしようと日付を決めたときに、この場所を思い出した。いや、忘れていたわけではなかったのだ。ただ、果林がいなくなってから、ここへ来ることを、無意識に避けていた。何の心構えもなく喪った彼女への感情を、未だに、整理することができないのだと思う。彼女だけではなく、喪った者は多い。彼女だけが特別なのではない。けれど――。
「俺でいいのか?」
むしろ、いないほうが良かったんじゃないかと、一騎が言う。
「……お前が、良いんだ。蔵前のそばに最期にいてくれたのは、お前だから」
一騎からあの日のことを聞いたのは、ずいぶん後になってから――一度肉体を失って、島に帰ってからだった。
――私がいて、良かったって……思う?
その問いを、不安を、心細さを、おそれを、彼女はきっとずっと抱えていた。
一騎はケーキを受け取って、それを見つめながら、「たぶん、さ」と口を開いた。
「蔵前は、総士が言いたかったこと、本当はわかっていたんじゃないかって思う」
「……慰めか?」
「俺はそんなこと言わないって、わかっているだろ」
つい口をついて出た言葉を一騎は否定して、「わかるんだよ、なんとなく」と言った。
「総士の答えをこころのどこかで知っていたから、ほとんど話したことなんかない俺の言葉でも、きっと、総士が言ったように受け止めてくれたんじゃないかって、思う。本当はお前の声で聞きたかったと思うけど……伝わっていたって、俺は思うよ。蔵前は俺よりもずっと早く、昔から、お前が言葉足らずで不器用だって、知っていたんだから」
「――……そう、だろうか」
「そうだよ、きっと」
――みなしろくん。
仕方ないわねと言いたげな、彼女のいつもの声が記憶からよみがえる。
ざあ、と風が桜の枝を揺らし、はなびらが舞った。
彼女は桜が好きだったのだろうか。それも知らない。知ろうとしなかった。もう二度と訊ねることさえできないけれど、その後悔が胸をつくたび、思い出すのだろう。彼女がここにいたことを、自分のそばにいてくれたことを、ずっと。
おめでとう、の代わりに、ありがとう、と、春の風にのせてささやいた。