「総士、電車に乗ろう」

 初めて学校へ行った帰りに、初めて電車に乗った。学校へ行くときは徒歩だったのだけれど、総士が珍しそうに電車を見ていることに気づいたらしい美羽が、「ちょっとだけ寄り道して帰ろう」と誘ってくれたのだ。
 美羽のちょっと姉ぶったような物言いがどうにも癪に障るし、一緒にいると居心地の良いことばかりでもないのだが、この街を知らない総士にとっては頼れる存在だ。
短い車両で街中に敷かれた線路のうえを走る電車は、路面電車、というものらしい。総士が写真で見ていた電車は、多くが郊外を走るようなものだったから、こんなふうに車や人とおなじ場所をのんびりと走る電車があるなんて知らなかった。
 運転席のうしろを陣取って、レバーを操作する運転手の動きをいちいち観察する。
 ――いいな、僕もあれ、やりたい。
 物珍しさと好奇心で、わくわくする。あの島になかったものが、この島には多くある。電車、人並み、広大な農地、総士にとってはエキゾチックな建物。そもそも、これだけ平坦な土地が広がっていること自体が、不思議だった。あの島は、ほとんどが山に沿った坂道や階段ばかりだったから。
 そして、何よりちがうもの――。
 ふと、窓を見上げた先に、日が暮れかけてなお、かすかなひかりを放つ大樹があった。
 ――アショーカ。
 この島のひとびとが、そう呼ぶもの。かつて〝最初のアショーカ〟が芽生えた土地から運ばれ、ここへ根付いたもの。
 ミールだ、と、ルヴィたちは説明した。宇宙からきたミール。フェストゥムと呼ばれる、人類が敵と認識するものたちの、支柱的な存在。何にでもなれるミールは、人を傷つけるものにも、守るものにもなるのだという。アショーカは後者で、美羽たちの呼ぶ竜宮島に根付くミールも同じらしい。そして、その島とともに眠っている巨大なミール、アルタイルというものは、まだまっさらな状態だ。何ものにでもなれる、何ものでもない存在。だから、いちばんに見つけるひとによって、その性質が左右される。
 総士の知っている〝竜宮島〟にそんなものはなかった。いや、マリスたちは、知っていたのかもしれない。総士が知らなかった、だけで。

 ――僕の名は、皆城総士。

 翡翠のような、うつくしい結晶のかがやきのなかで眠っていたあの機体――マーク・ニヒトのなかで聞いた声がよみがえる。アショーカのあの、太陽のように眩くも鋭くもないのに、ただおだやかで、静かな光を見上げると、あの声と、なにかに包まれるようなぬくもりを思い出す。
 アショーカの根元で、総士は生まれたのだという。それがどういう意味なのか、総士にはまだわからない。けれど、あのひかりを見ると、せつないような、愛しいような、不思議なきもちになる。
 ――また、あの声が聞きたい。
 総士をどうしようもない不安にかきたてる声でありながら、総士を、総士だけに、向けられた声音。あの声をたどれば、自分が何者なのか、何者になりたいのか、分かるような気がする。あの声はきっとすべてを知っている。総士にとって、だいじな、すべてを。
 あれは総士に向けて、総士のために、遺された声だ。誰に教わらなくても、誰に否定されても、それは揺るぎのない確証をもって、総士のなかにある。
 かなしくて、厳しくて、やさしくて、あたたかな声。
 自分によく似た声で、自分と同じ名前を持つ、声。
 それが意味するところを本当に理解したときに、自分がどうなるのかは、こわい。だけれど、もう一度聞きたいのだ。あの声を聞きたい。あのひとに、会いたい。
 ――そう思いながら家に帰りついた総士は、その夜、また新しい夢を見た。


「器のなかの、もうひとりのあなたの声を聞いて。本当のあなたと、島が目覚めるために」


 ――うつわ。
 それが何を指すのか、目覚めた総士はすぐにわかった。あの機体だ。僕のもの。僕以外には操れないもの。
 夢のなかの彼らが総士を騙したり、嘘をついたりするとは、何故か思えなかった。あれは総士にとって、ニヒトの中の声と同じく、自分だけに向けられたものだったからだ。総士を利害で見ているのでもなく、総士を通して他の誰かや何かを見ているわけでもない。ただ純粋に、目の前の総士に言葉をかけ、見つめて、先を示すもの。
 乗らなければいけない、と、そう思った。あの機体に、乗らなければ。
 最初は渋るような態度を取った真矢が、いろいろと話を通してくれたらしく、パイロットたちの訓練に合格すれば乗れるようになる、と言われた。あの機体を操るためには、総士のことをおかしくしてしまう何か――変性意識、というものを、コントロールできることが必須なのだ。
 それはつまり、自分と向き合い、自分自身の精神をコントロールするということだ。よろこびも悲しみも、怒りも憎しみも。制御できなければ、機体に呑み込まれ、あのときのように、感情に身を任せて、訳が分からなくなるまで戦わなければならなくなる。あんなおそろしい思いも、痛い思いも、もうしたくない。
 武器を扱うこと、いのちを奪うこと、自分を守ること、感情と向き合うこと、状況を見極めること、自らが選択をすること、敵とは何なのか自分に問いかけること――自分自身がファフナーになる、ということは、総士自身を、精神的にも肉体的にも鍛えなければならない、ということだった。
 マーク・ニヒトというあの機体は、この島でも特に、強大な力を秘めた機体だった。それであればこそ、搭乗者は誰よりも、強く在らねばならない。ルヴィの言うところの最強の力とやらとはまたちがうが、何も力を持たない総士にとって、マーク・ニヒトという器を手に入れ、自分自身の意思でもって操ることは、今後必要不可欠なことに思えた。あのなかの声を聞く、という、ただそれだけではなく、総士にとって、自分の目で見て、耳で聞いて、からだで感じて、理解し、この世界で生きるために、あの力は必要なのだ。そう、心の中で、直感のようなものが告げていた。



「疲れた……」

 シミュレーションを終えて、アルヴィス内の廊下にあるベンチに総士はよろよろと腰を下ろした。実際にファフナーを動かしたわけではないが、それでも、今日は一日ハードだったのだ。午前中は学校へ行って、午後から美三香と走り回った後にシミュレーションというスケジュールはいかがなものか。
 美羽のようなファフナーパイロットは、学校と訓練を並行するのがふつうらしいから、総士のこれも、この島では、珍しいことでもないのだろう。総士の訓練を買って出てくれている美三香たちも、中学生のころからファフナーに乗っていて、訓練や戦闘を繰り返しながら学校へも通っていたと言っていた。けれど、ここまで総士のスケジュールが詰められているのには別の理由があるような気がした。
 ――みんな、なんとなく、焦っているみたいだ。
 誰もそんな表情は見せないし、街のひとびとだって穏やかに過ごしている。だが、この地下のアルヴィスに降りてくるたび、すれ違う制服姿のおとなたちから感じるのは焦りだ。

 ――ベノンが来る。誰にも止められない。

 あの夜、マリスの告げた言葉を思い出す。ベノン。かつて総士が味方だと思い、英雄視していたもの。それが、総士たち人類を脅かす敵なのだという。マリスは、自分を人質にすることなど意味がないというふうに言っていた。それはつまり、ベノンにとっては、一兵士など切って捨てても構わない、と、そういうことだ。
 そんなところにマリスはみずから属している。そして、そういうもの、、、、、、が、この島を目指してきている。
 総士が初めてこの島を目にしたとき、島を覆い隠していた偽装鏡面というものは、ベノンから、敵から、逃れるためのものなのだ。だというのに、マリスは総士の元へやってきた。島の位置が把握されている、ということだ。
 それがどれほど、この島にとって脅威なのか、今の総士にはぴんとこない。だが、きっと、この島のひとびとが束になっても敵わないような相手なのだろう。だから総士に、早く、竜宮島を見つけてほしいのだ。そこに眠る力を、目覚めさせたいのだ。
 ――本当は、こんな訓練、している場合じゃないんじゃないか?
 もっとほかに、総士を〝目覚めさせる〟方法はあるのではないかと思えてならない。無理やりマーク・ニヒトに乗せるなり、機体のなかの音声記録を持ち出すなりして、強制的に総士を従わせ、島への航路を見つける方法が、ないわけでもないだろう、と。ルヴィならそれくらいできるのではないか、と、そこまで考えて、いいや、と総士はかぶりを振った。
 きっとそれではだめなのだろう。そして、たとえできるとしても、ルヴィや美羽、真矢たちが、それを是とするとは思えなかった。
 ――信じている、わけじゃ、ないのに。
 誰も信じないと言い聞かせているはずなのに、この島の人と話し、触れ合い、その人となりを知るたびに、彼らの言葉を嘘だと思えなくなる。たとえ嘘だったとしても、彼らが総士に無意味に嘘を吐くとは思えない、と、考えてしまう。
 ――どうして、みんな、優しいんだろう。
 総士の暮らしていた島を破壊したのはこの島の人々の意思なのに、誰も彼もを――真壁一騎を除いて――憎めない。
 ここにいた、という、記憶のかけらのせいだろうか。本当は、こちらが総士の故郷で、みなが総士の同胞だからだろうか。今だってすこしも許せないのに、それとは別に、この島の人々のほほえみや労わりを、無下にしたくないと思う自分もいる。信じたくないと思いながら、信頼されたい、、、、、、、と、そう思っている。
 これは、矛盾なのだろうか?
 かつての島の記憶や、乙姫への、裏切りなのだろうか――。

「――そんなところでどうしたの?」
「う、わっ」

 不意に、すぐそばで聞こえた声に総士は思わず声を上げた。
 視線を上げると、真矢が腰に手を当てて総士を見おろしていた。先ほどまで一緒にシミュレーションを行っていたが、今は制服に着替えていて、手に何かの資料を持っている。そういえば、「私はこの後で会議があるから、きみは先に帰ってなさい」と、言われたのだった。隔離室にいたころは監視がついていて、遠見家に行くときも、誰かしらが総士のそばにいることが条件なのだと、てっきり思っていたのだが、総士がひとりでうろうろ出歩いても、もはや誰も何も言わない。

「気分でも悪いの? シミュレーションの後、検査は受けたの?」
「あ、いえ……、あの、べつに、そういうわけじゃなくて……、ちょっと休んでいただけで……」
「……そう」

 真矢はそれだけ言って、去って行こうとした。しかし、廊下の先から、「おっ」と声がして、総士も真矢もそちらを見やる。恰幅の良いからだにいつもは白衣をまとっている男が、私服姿で、ひらひらと手を振っていた。

「遠見、総士、そこで何してるんだ?」

 シミュレーションのあと、検査をしてくれた彼、剣司は、ふたりのそばまで寄って来て、「まだ帰ってなかったんだな」と総士を見て苦笑した。

「どっか気分悪くなったのか?」
「……そうじゃないです」

 まったく誰も彼も、座っているだけで人の体調を心配し過ぎだ。そう思ってくちびるを尖らせていると、「近藤くん、帰るところなの?」と真矢が言う。総士に対するものと、口調や声音がちがう。

「ああ。今日は早く上がらせてもらったんだ。暫く俺がいなくて、咲良も時間がなかったから、うちの庭の草がすごくってさ。そろそろ抜いとかないとまずいかなって」
「近藤くんのうち、庭が広いもんね」

 ――ぜんぜん、ちがう。
 くすりと笑うような真矢の声に、総士は目を瞬かせる。こんな声、僕は、聞いたことがない、と思う。家にいるあいだ、真矢は、総士だけでなく千鶴や美羽ともあまり会話をしない。総士がいる前で、あまり素を見せない。
 きょとんとしながら真矢を見つめていると、剣司が、「あ、そうだ」と何かを思いついたように総士を見た。

「遠見、まだ仕事あるのか?」
「え、うん……」
「遠見先生もまだだし、美羽ちゃんも学校だよな。総士、今、家に帰っても誰もいないだろ。もうちょっと動けるんだったら、うち来ないか? 草取り、手伝ってほしいんだ」
「えぇ?」

 思わず嫌そうな声を上げてしまったのは、疲れているのにまだ働かされるのか、と思ったからだった。剣司は、「疲れてるならいいんだぞ」と苦笑している。
 ――まぁ、確かに、誰もいない遠見家に帰ったところで手持無沙汰になるだけだし、この人に、すこし聞いてみたいこともあった。
 総士は「……行かないことも、ないです」と遠回しに答えて、ようやっとベンチから腰を上げた。