「あれ……、ここ、道場、ですよね」
剣司に連れられて彼の家に辿りついた総士は、きょとん、と目を瞬かせた。
入り口が違うから混乱するが、剣司の家の敷地には、見覚えのある建物が建っている。いつも総士が零央から指導を受けている、道場だ。要流を掲げる道場と、この近藤剣司という人物が結びつかなくて首をかしげていると、タオルと軍手と袋を渡された。
「お前の担任、近藤咲良、って、いうだろ」
「え……、あ、はい」
「咲良は俺の奥さん。旧姓が、要だ」
「あ……、じゃあ、道場の要流、って、近藤先生の家の流派なんですか?」
「そういうこと。……竜宮島には咲良の両親がやってた道場があってさ、島のこどもはたいていそこに行ってたんだ。今は、弟子だった零央が主に役目を継いでくれてる」
そういうことだったのか、と、納得して、総士は剣司と一緒に身をかがめ、あかね色の日が落ちる庭の草取りを始めた。道場の庭も兼ねているならば、ふだんお世話になっているのだし、草取りくらいしてやろうじゃないか、という気にもなる。
日差しは昼間ほど強くないし、風もある。蝉の声がじわじわと遠くから聞こえてきて、長閑だな、と、思う。
――そういえば、乙姫と一緒にいつも、庭の草取りしていたっけ。
お兄ちゃんまだ半分しか終わってないのにサボらないでよ、と、むぅっと頬をふくらませていた乙姫の顔が浮かぶ。うるさいなぁ、と答えて口喧嘩になると、いつも、休憩したらどう、と、冷たい麦茶を持った母が縁側から声をかけて来て――。
もうどこにもない、その景色に、ぐっと喉が詰まるような感覚を覚え、振り払うように首を振った。もう帰れはしないのだという寂寥と同時に、彼らが何を思って総士を家族と呼んでいたのかがわからなくて、不安になる。
今、思い出したって、仕方がないだろう。総士は思考を断つように、ぶちり、と、草を抜き取った。
――……このひとも、家族を守れなかった、って、言っていた。
総士の後ろで草を取っている男は、ときどきタオルで汗を拭いながら、ふぅ、と息を吐いている。島が破壊され、ここへ運ばれる艦のなかで、家族を守れなかった――その経験を全員がしているのだ、と、彼は言った。
総士が本などで得た知識から察するに、フェストゥムが宇宙から襲来してから、ひとびとは戦争を繰り返してきたのだろう。人智を越えた敵に対し、人類が抵抗できる限度など知れている。きっとその争いのなかで、この島のひとたちは、多くの者を失っている。この島に限った話ではない。総士の知らない、どこかにいる、生き残った人々もきっとそうなのだ。
目の前で家族や大事なひとを奪われる憎しみを、総士はもう、知っている。それは、誰か他者の憎しみや苦しみ、悲しみと比較できるものではない。彼らが奪われたものと、総士が奪われたものはちがう。すべてを共感なんて、できるはずもないし、してほしくもない。
けれど、このひとたちからは、滾るような憎しみを感じないのが、ただ不思議だった。総士は未だ、胸のうちに燻るものを、抑える術さえも知らないのに。
「――あの……、家族を守れなかったって、言いましたよね。敵が憎くないんですか?」
剣司は総士の言葉にすこしも動揺することもなく、ふと息を吐いて、腰を上げた。
「そうやって相手からも憎まれるんだ。仲間は思いやって、敵は許せない。何でそうなるのか、わからなくなる。――それよりも、大切なひとが傍にいてくれたことを、忘れたくないんだよ」
剣司が見上げる先には、部屋のなかにかけられた、いくつかの写真があった。総士も腰を上げて、彼の視線の先を見る。
「……家族、ですか?」
「俺の母ちゃんと、咲良の両親。それから、だいじな、ともだちだ」
厳格そうな男性、笑顔を浮かべた女性、真面目そうな女性。その隣にかけられたのは集合写真のようだった。見慣れてしまった、あの、アルヴィスの制服を着たこどもたちが並んでいる。みな、幼い。今の総士と、同じくらいだろうか。ともだちということは、剣司もこの中にいるのだろう。一番右端は、面影から、咲良だと分かる。見覚えがあるような気のする顔、あまり、深く考えたくはないが、面影から真壁一騎だと分かる顔、知らない顔、髪も体格も全く違うが、おそらく剣司だろう顔、順々に視線を流して、そして――一番左端にたどりついて、ひく、と、喉が引きつった。
――僕だ。
いや――ちがう。似ているけれど、ちがう。
あのひとだ。
直感だった。総士のなかの、何かが告げていた。総士と同じ亜麻色の長い髪をながし、腕を組んで立っているこども。あの機体のなかで見た気がした面影よりも幼いけれど、きっと、彼だ。
じっと、総士がその写真を見ていることに気づいたのだろう。剣司が、「初めての訓練のときに、遠見が撮ったんだよ」とそう言った。
「フェストゥムとの戦いのなかで、いなくなったやつもいる。俺が目の前にいたのに、守れなかったやつもいる。母ちゃんも……俺が、ファフナーに乗るのが怖いって逃げた、そのあいだに、いなくなった。憎かった。敵も、自分も。何もかもが悲しくて逃げたかった。それでも、今だから言えるんだ。憎しみよりも、覚えていたい。あいつらが、ここにいてくれたことを忘れたくないって。――……だけどそれは、お前の憎しみや悲しみとはちがうものだ。お前に同じようになれって、そう言っているわけじゃない」
剣司に視線を向けると、おだやかなひとみが、総士をじっと見つめている。このひとは最初から、そうだった。「飯でもどうだ、何も食ってないんだろ」と、そう声をかけてきたこのひとは、総士のことを見るたび、やさしく、自分の子を見るような、ひとみを向けてくる。
「……ニヒトの中の声は、やさしかったか?」
どうしてそんなふうに訊かれるのかわからなくて、けれど、そう問う剣司の声があまりにもせつない響きを持っていたから、つい、こくりと頷いてしまう。そうか、と、目を伏せた剣司は、再びしゃがみこんで草を取り始めた。総士はもう一度、写真を見上げてから、同じように腰を落とす。ぶち、ぶりち、と、草を取る音だけがしばらくあたりにちいさく響いた。