2 感謝


 葬儀場を後にして、家に帰ってすぐ、真矢は自室に上がってしまった。帰り道でもずっと無言で、表情は硬いままだった。
 真矢はひとによって見せる顔がちがう。総士には、どちらかと言えば、厳しい顔を見せることが多い。銃で撃たれた時もそうだが、真矢は総士のことを信じてくれている――からこそ、一定の距離を置いているような気がする。
 今でこそ、総士はこの島を破壊しようとは思っていないけれど、連れて来られたばかりのころは、それまでの全てを奪った島――怒りをぶつける対象でしかなかった。そんな総士が、あんな、マークニヒトという強大な力を持った兵器の唯一の乗り手なのだ。もしも総士が島にとっての脅威となった場合、誰かが総士を止めなければならない。真矢はそれを買って出たのだろう。そうでなければ、総士が遠見家に預けられて、自由に出歩けるはずもなかった。冷静になって考えれば、総士にだって、それくらいのことはわかる。
 だから真矢は総士に距離を取る。ないとは言い切れない、いつかの可能性のために。
 しかしその一方で、誰よりも、総士のことを身近で見守ってくれているのもまた、真矢だった。
 ――みんながきみを信じてるよ。
 夜の静寂しじまに響いたやさしい声が、総士はずっと忘れられない。
 信じてくれた。信じてくれている。真矢の存在もまた、総士にとっては、この島でのよすがだ。そんな彼女に、この家に、今できることはなんだろう。
 ぼんやりとリビングの椅子に腰かけて考えていると、ぐう、と、おなかが鳴った。しかもそれはひとつではなく、ふたつだ。

「……」
「………」

 ちらりと視線を向けると、ソファの上で膝を抱えた美羽が、くまのぬいぐるみに顔を埋めたまま、すこし顔を赤くしている。

「……きみも、お腹空いたのか」
「……だって、美羽、昨日の夜からなにも食べてないもん……」

 消え入りそうな声がくまに埋もれていく。そういえば、そうだった。
 昨日は激しい戦闘の後、千鶴たちがころされたと分かって、美羽も真矢も泣き崩れてなかなかその場から動けずにいて、すっかり日が沈んでしまってから、剣司たちに支えられてなんとか家に戻って来たのだ。
 そのあと、剣司が気遣って持って来てくれた軽食には、結局、誰も手を付けられなかった。お腹は空いていたような気がするけれど、それを自覚することもできないくらい、疲弊していたのだろう。たべものを見ても、食べたい、という欲も湧かなかった。
 しかしそう考えれば、美羽が、お腹が空いた、と、感じられるようになったのは、良いことだ。
 少し前の総士もそうだった。乙姫を失ってすぐは本当に何も考えられなくて、たべものなんていらないと思った。それでも、しばらくするとお腹が鳴って、苦笑した剣司に連れられて初めて、あのアルヴィスのふねのなかで食事をとった。自分からすべてを奪った人間たちが作った食事だとわかっていたのに、それでも、用意された料理はすべて美味しくて、おかわりまでした。
 あれは、信じるとか、信じないとか、そういったことは関係なく、総士の肉体が「生きよう」としていたからだ。なにかを考えるにも、からだを動かすにも、「食べる」という行為は不可欠だ。
 だから、「食べたい」は「生きたい」と同じなんだと、総士はあのとき思った。
 そうだ――料理だ。

「それなら、できるかもしれない」

 ぽつりとつぶやいた声に、美羽がきょとんと首をかしげた。



 お兄ちゃんはサボってばっかり、と、言われていたが、総士は家事全般ができないわけではない。単純に面倒で逃げ回っていただけだ。だから、料理もできる。

「今週の残りはこれか……」

 にんじんやじゃがいも、鶏肉など、総士が持つ端末に表示されるのは配給される食糧の一覧だ。冷蔵庫とリンクしていて、残りがどれくらいあるかもわかる。
 海神島では、地下のアルヴィス内部のプラントおよび、地上の広大な土地の一部で作物等が育てられている。戦時下となった場合、艦の動力や各種兵器の起動に多くのエネルギーが優先的に充てられるため、プラントの稼働率は下がる。また、地上の田畑は直接的に戦闘の被害を受けやすく、今回に至っては、日照時間や気温などが狂ったこともあり、安定的な供給は難しい。ゆえに、戦闘が長期化した場合にも耐え得るよう、こうして各々の家庭に、平均的な――育ち盛りがいれば少し足りないと感じる程度の食糧が割り振られることとなる。
 残っている食材で何を作るか、まずはレシピを書きだそうと総士はダイニングテーブルでメモ帳を開く。さきほどまでソファにいた美羽は、あまりに眠そうにしていたので、いったん部屋で寝てこいと追い出した。
 ――遠見さんも美羽も、なにをいちばん、美味しそうに食べていたっけ。
 総士が作ろうとしているのは、千鶴が作ってくれていた料理だ。
 失われたものはもう二度と帰らない。けれど、千鶴がここにいたというあかしまで、すべてが消えてしまったわけではない。かたちのない骸をただ見つめて、喪失を嘆き、弔う時間も必要だ。総士もそうだった。けれど、ずっとそのままでいることなんて、去って行ったひとたちだって望んではいない。
 失った悲しみや、救えなかった悔しさのあとに遺るのは、慕わしさや感謝のきもちだ。
 千鶴が遺してくれたのは、遺伝子技術だけではない。毎日生きるためのからだをつくり、こころを元気にする料理もそのひとつだ。

「肉じゃが、美味しかったな」

 ぽつりと言葉にしてみると、じわ、と、口のなかに、記憶にある味がよみがえってくる。それを噛み締めて、たどりながら、メモ帳に材料を書き出していく。
 出汁を取るのなら、出汁巻きも作ろう。遠見家では定番メニューのひとつで、朝夕の食卓に並ぶことも多かったし、学校や訓練に行くときに持たせてくれたお弁当にも入っていた。――あの味は、たぶん、かつお出汁だ。料理を手伝うとき、千鶴がよく鰹節を出していたような気がする。それから、鶏肉が余りそうだから、唐揚げも作ろう。唐揚げが食卓にのぼると、真矢と美羽は競うように箸をつけていた。きっと好きなのだと思う。

「あとは、作りながら味見するしかないか」

 野菜や肉はともかく、調味料については、実際に作ってみなければ加減がわからない。少しずつ測って足していくしかないだろう。
 台所に立って、総士はいつもの場所に、変わりなく、千鶴のエプロンがかけられているのを見つけた。すこしでも千鶴の味に近づきますようにと、「お借りします」と一言つぶやき、頭からかぶった。




 千鶴の料理を再現する作業は、総士にとってもうひとつ、意味のあることだった。
 少しずつ味を見て、やり方を間違えたらレシピに赤ペンで書きこみを加えながら、これだ、という味にたどりつくたび、総士は「やっぱり」とひとりごちる。
 ――同じなのだ。
 千鶴の料理を食べるたび、どうしてこんなに懐かしく、舌に馴染むのだろうかと不思議に思っていたけれど、総士が知っているものと、まったく同じなのだ。総士の母――という立場を演じていた、彼女、、が作っていたものと。
 舌のうえにひろがる、かつおや醤油、みりん、それらの風味を味わいながら、総士はリビングの隅に立てかけられた写真を見る。偽りの母――総士を騙し、姿を偽っているという意味においてはそう呼ばせてもらう――は、遠見弓子という名の故人を模してつくられた。彼女は美羽の母であり、そして、その弓子の母は千鶴だ。
 千鶴から弓子へ受け継がれた味は、本来ではありえなかった――あるべきではなかった、、、、、、、、、、としても、ひとりのフェストゥムへ伝わって、そして総士を育てた。
 苦く複雑な感情は、もちろんある。けれど、かつての島でも、この島でも、居場所を持たない総士にとって、これはひとつの「つながり」だ。総士自身をかたちづくる、かけらのひとつだ。
 ――生きるちからを、あなたはちゃんと与えてくれた。
 
 ――私が遺したものすべて、忘れ去られてほしいとは思うけど、いつか本当に平和になったとき、大勢から憎まれる覚悟はできているわ。

 この場所で千鶴はそう言った。彼女のつくった技術は人間を戦う道具にしてしまったから。適性のないものにも、おとなにも乗れない、たったひとつ、人類を救う兵器――ファフナーに乗ることができるこどもたちを生み出してしまったから。
 与えたかったのは生きるちからよ、と、彼女は言った。
 ――与えたかった、、、、、、、なんて、悔いる必要はない。
 戦うちからも、生きるちからも、総士にとって必要なものだ。それを与えてくれたことに、遺してくれたことに、感謝する。
 総士たちが生きている。生きていく。それこそが、彼女がここにいたという、あかしなのだ。
 それは、千鶴に限ったことではない。乙姫も、同じだ。
 彼女も故人を模して、姿を偽った。けれど、共に過ごした時間は、総士という存在をここにこうして立たせるための、大事な一部になった。そのことを総士だけは否定しない。決して。相手のいのちを見る――それは遺されたものを称えることでもある。
 犯したあやまちも、与えてくれた想いや時間も、忘れないこと。それは、相反することではない。

 ――大切なひとが傍にいてくれたことを、忘れたくないんだよ。

 敵が憎くないのかと問うた総士に答えた剣司の言葉が、たしかな重みをもって、総士のうちに響いた。


        ◇


 総士のつくった食事を、真矢も美羽も、笑顔で囲んでくれた。

「おいしい。ほんとうに……、お母さんの味がする」

 ふわりと口元をほころばせる真矢は、家のなかであっても総士には見せたことのなかった表情をいくつも浮かべてくれた。美羽も、そんなふうに真矢が緩んだ顔を見せたことがうれしいらしく、まだ空元気ではあるのだろうけれど、笑ったり、総士の「きみには再現できないだろう」という言葉に「できるもん!」と怒ったりしながら食べ終えてくれた。しかし――。

「量の加減はできなかったのね」
「う……」

 肉じゃがも唐揚げもまだ二人前はゆうに残っていて、出汁巻きも、きれいに巻けたものを出したいとはりきったせいで、まるまる一本残っている。それを見た真矢は「明日にでも――」と言いかけて、あ、と、何かを思いついたように総士を見る。

「その……、これ、お裾分けに持って行きたいところがあるんだけど」
「どこですか?」
「……真壁司令のところに」

 真矢がすこし躊躇いがちに言ったのは、総士が以前、真壁一騎を前にして感情を爆発させたことがあったからだろう。真壁、という名前に確かにまだ良い思いは抱けないが、史彦に関しては、直接何かされたというわけではない。
むしろ、総士がニヒトに乗るのを妨げなかったのも、竜宮島のある方角を信じてくれたことも、戦場に出してくれたことも、感謝こそすれ、恨むことなどない。それに、最初に艦で話したときも、彼は総士の言うことを頭ごなしに否定することはなかった。

 ――きみは、ベノンを見たことがあるのかね?

 総士にそう問いかけた声は、決して煽ったり侮ったりするものではなかったのだから。

「べつに良いですけど……、真壁司令って、その……、食事をつくるひと、いないんですか?」

 真壁一騎がいるのではないか、という言葉は口から出てこなかった。まだその名を、当たり前のようには紡げない。
 真矢はふと視線を落として口を開く。

「今は……、いないの。司令はときどき、うちに来て、ご飯食べてて――だから、お母さんの味のご飯、きっと喜んでくれると思う」

 そういえば――千鶴は史彦を庇ったのだ、と、聞いた。ふたりがどういった関係だったのか、総士は知らない。けれど、千鶴の遺したものを大事にしたいと思うひとならば、総士に否やはなかった。