笑顔になってほしいひと
なんとなく珍しい光景だ、と、そうしは思った。
両手に提げたいくつものビニール袋をがさがさと鳴らしながら普段よりもすこし早い歩調で歩いている背中は、普段より注意散漫で、あっちこっち視線が動いて忙しない。賢くて生真面目で冷静なひとが、実際のところ、ちょっと抜けているということを知っているひとはたぶん、そんなにいない。――あ、ほら、店先から香るパンのにおいにつられて視線を動かしたせいで、今ちょっと躓いた。
「なぁ総士、ちゃんと前見ろよ」
「……見ているぞ」
「嘘つけ。今ちょっと躓いただろ」
隣に並んで見上げれば、気まずそうな顔がそっぽを向いた。きっと、家でおとなしく待っているであろう総士のパートナー兼そうしの育て親は、総士のこういうところがたまらなく好きなのだとおもう。思っているところがすぐ口に出る彼は、「かわいい」「きれい」という単語がすりへって消えてなくなってしまいそうなくらい総士のことをべた褒めする。――いや、総士だけではなく、そうしのこともなのだが、思い出すと恥ずかしいのでやめる。
その恥ずかしい男こと、真壁一騎は、今日が誕生日である。
一騎は総士やそうしの誕生日は決して忘れないが、自分のことには無頓着だ。朝起きたときも、そうしたちが「今日はふたりで買い物に行く」と言ったときも、何かに気づいたふうはなく、「いってらっしゃい」と笑顔で見送られた。おそらく自分の誕生日を忘れているのだろう。
総士もそうしもサプライズは苦手だが、あそこまで何も気づいていない一騎相手ならば、ふつうにお祝いをしてもサプライズになる。
ふたりは一騎のように料理が得意なわけではないので、まちで一騎の好きそうなものをめいっぱい買い集めることにした。一騎はいつも美味しいものを作ってくれるけれど、一騎自身、美味しいものを食べるのが好きなのだ。普段はあまり外食をしたり惣菜を買ったりしないので、たまにはこういうのも、いいだろう。
総士の左手には魚屋で買った煮つけや干物、右手には行列のできるカフェで買ったプリンがある。同じようにそうしの両手にも有名店の焼き菓子と少し高級な肉屋で買った惣菜が握りしめられている。あとは事前に注文しているケーキを受け取って帰ればいいのだが、総士は他にも気になるものがあるらしい。
「……パンも買う?」
「いや……、さすがに……、しかし……」
ううん、と悩んでいる総士が見ている先には、いつも観光客でいっぱいになっているパン屋があった。タイミングよく、今ならば並ばずに買えそうだ。あそこはベーグルとカレーパンがおいしいのだと、いつだったか一騎がつぶやいていたのを総士もそうしも知っている。喫茶店で働いている一騎は、まちのなかの飲食店の噂に敏感だ。だが、実際に食べたことはなかったかもしれない。
「迷うくらいなら買おうよ」
ほら早く、と手を引けばおとなしく総士がついてくる。仕事のことや家族のことなら決断力のあるひとなのに、こんなささいなことで躊躇うところは、ちょっとかわいいと思う。どうせパンだってどれを買おうか迷うに決まっているので、そうしは先にさっさとトングとトレーをとって、気になるものをとりあえず全部載せていった。
「……買いすぎた?」
ケーキを受け取って帰路を歩きながら、ずっしりと両手にかかる重みに、そうしは今更ながらちょっと後悔する。あれから結局、商店街の端にある和菓子屋の季節限定商品まで詰め込んでしまった。調子に乗り過ぎただろうか。うーん、とそうしが唸ると、両腕にビニール袋を提げて、両手でしっかりケーキの箱を抱えた総士が目を細めて笑う。
「あいつは意外に胃の容量は大きいのだから、問題ないだろう。それに、お前が買ったのだと言えば、量なんて気にせずに食べるさ」
お前がくれるものはなんだって嬉しくて仕方がないのだから、と、総士が言う。
――それを言うなら、総士のだって、そうだ。
一騎は総士がくれるものならば、なんだって嬉しいに決まっている。朝目覚めて、おはようと言うだけで、何かを贈られたみたいに、あんなにしあわせそうに微笑むのだから。
「――あ、」
海を見下ろせる坂道をのぼって、少し息を切らせて顔を上げる。干したての洗濯物がゆらめく家の庭先から、一騎がひょこりと顔をのぞかせていた。おそらく一騎のことだから、ふたりが帰るのが待ち遠しくて出てきたのだろう。総士の腕の中のケーキがこけてしまわないように、けれど早足で、ふたりは家までの階段を上がる。
「ふたりとも、すごい荷物――」
だけどどうしたんだ、と、そう一騎が言うより早く、そうしは、隣にいた総士ごと押し付けるようにして、一騎に抱き着く。うわ、と、ふたりぶんの声が上がったけれど気にしない。たぶんケーキは無事だからゆるしてほしい。だって走り出したくなったのだ。早く驚く顔が見たくて、早くあの笑顔が見たくて。
「ただいま! 誕生日おめでとう、一騎!」
誰よりも真っ先に言って、「あっ」と先を越された総士が慌てた顔をするのも、「えっ」と一騎が驚いたあとにじわじわ頬を赤らめるのもぜんぶすぐそばで視界に入れながら、そうしは笑った。
2019.09.22 文庫ページメーカー初出