深夜の完全犯罪
不意に目が覚めた。
ぱちぱち、緩慢に瞼を上げたり下ろしたりすると、次第に視界が明瞭になる。
「……」
ほぅ、と、なんとなく息を吐いて、そうしは視界に映った天井の木目をぼんやり見つめる。まだ、朝ではない。部屋の中は真っ暗だ。何時だろう、と、枕元のスマートフォンに手を伸ばしてディスプレイをタップすると、零時を少し回ったところだった。
「……ちょっとしか寝てない……」
うぅんと唸って、そうしは枕に顔をうずめた。暫くそのまま目を閉じて、眠ろうと試みるものの、一度覚醒してしまった頭はなかなかスイッチを切りかえてくれない。眠気はあるはずなのに、眠れない。明日は休みだから、少しくらい寝不足でも問題はないのだが、みんなが寝静まっている深夜にひとり眠れずにいるという状況は、どうも苦手だ。まるで自分だけ、別の世界に取り残されたみたいで、こわくなる。
そうしは、はぁ、とひとつ息を吐いて、とりあえずトイレにでも行ってこようかと、ゆっくり身を起こした。
季節は冬だ。暖房の消えた部屋の中はきん、と冷えている。祖父が送ってくれてから気に入って使っている半纏を羽織り、家人を起こさないようにそっと部屋を出ると、真っ暗だと思っていた廊下には、かすかに明かりがこぼれていた。月明かり、ではない。どうやら居間のほうの明かりがついているらしい。誰か起きているのだろうかと思い、そうしはそろそろと、音を立てないように居間に向かう。
いつも三人で食卓を囲む居間には、明かりは点っているが誰もいない。そのかわり、奥にある台所でかすかな物音がしていた。覗き込もうと思って居間の敷居をまたぐと、きし、っと、畳がちいさな音を立てる。それに気づいたのだろう。台所の物音のぬしが、ひょい、と顔を見せる。
「……見つかったな」
「総士?」
そこにいたのは、そうしと同じように、部屋着に半纏を羽織った総士だった。いつもは後ろでゆるくひとつに結われている亜麻色の髪を、首元で結わえて、左手前に流している。寝るときのスタイルだ。
最近まで締切に追われて徹夜しがちだった総士が、年内締切の仕事をすべて終えたのは数日前のことだ。今日もそうしと同じような時間に寝室に入っていたはずだった。それなのに、なぜここにいるのだろう。思ったことは同じだったのか、総士が「お前も眠れないのか?」とかすかにほほえんだ。
「……うん。総士も?」
「ああ。眠る時間が取れる時ほど目が冴えてしまうらしい。すこし作業をしようかと思ったんだが……小腹が空いてな」
おいで、と言うように、総士がちょいちょいとそうしを手招く。誘われるまま台所に足を踏み入れると、コンロの上、銀色の片手鍋のなかでふつふつと湯が沸いているところだった。横には、黄色い鳥が描かれたインスタントラーメンの袋と卵が置いてある。おお、と目を輝かせると、総士が肩を竦めた。
「深夜のラーメンは悪い大人の特権だが、見つかったからには、お前も共犯だ」
「やった!」
そうしが思わず声を上げると、総士はこれみよがしに「しーっ」と指を口元にやる。
「台所のぬしを起こさないようにな。どんぶりをふたつ取ってくれるか?」
時間通りに茹でられた麺を半分に分け、卵を落として、しばらく蓋をしておくと、ちょうど良いくらいの固さになる。台所のぬし――一騎が刻んでタッパーに常備している小ネギを拝借して散らし、できあがった深夜のジャンクフードを手に、ふたりはいそいそと炬燵に入った。ストーブがついていなくても、半纏と炬燵があればじゅうぶん温かい。
「いただきます」
ちいさなふたつの声は重なった。向かいあって、湯気を立てているスープに漂う麺をずるずると啜る。美味しい、と、声にはしなかったが、総士もそうしも、ゆるゆると頬をゆるめて、次の麺を箸にからませ、ふぅふぅと息をふきかける。半熟よりもすこし固めの卵はとろっとしていて、まろやかで美味しい。一騎の作る煮卵がちょっと恋しくなったけれど、この、いかにもインスタントな鶏がらスープには、割って落としただけの卵が何よりも合う。
細い見た目に反してよく食べる成人男性と、食べ盛り伸び盛りのこどもによって、どんぶりはあっという間に空っぽになった。
「ごちそうさまでした」
やっぱりふたつの声は重なって、ふたりはいそいそとどんぶりを洗うために立ち上がった。腹が満たされると眠くなる。ひとのからだはとても素直だ。炬燵のなかにいたら、そのまま眠ってしまう危険性が高い。
あまり音を立てないようにどんぶりを洗い、水切りかごに入れてしまうと翌朝ばれるので、しっかり水気を拭って、そっと食器棚にしまう。シンクを元あった通りの状態にし、よし、と、ふたりは証拠隠滅を確認しあった。
「眠れそうか?」
「うん」
おなかいっぱい、と、そうしがおなかを叩くと、総士はくしゃくしゃとそうしの頭を撫でる。総士に触れられるのはいつも心地が良い。うっとりとやってくる眠気に、ふあぁ、とあくびをこぼした。
「おやすみ、そうし。今日のことは秘密だぞ」
「うん。ありがとう、総士。おやすみ」
ひらひらと手を振って、お互いの部屋に入る。一騎の寝室からは物音ひとつしなかったから、きっと起こしてはいないはずだ。ベッドに戻ったそうしは、こういうの、たまにはいいよな、と思いながら、いつの間にか眠りに落ちていた。
――翌朝、朝食の席でぽつりと、「メンマは冷蔵庫の二段目の棚にあるからな」と一騎が言って、その意味に気づいたふたりは、朝食の味噌汁を喉に詰まらせた。
2020.12.08 文庫ページメーカー初出